松原智恵子さんと言えば吉永小百合さん、和泉雅子さんと並び、日活三人娘の一角として数々の作品にヒロインとして登場した名女優ですが、若い頃も年齢を重ねた今現在も綺麗と評判です。
息子さんが東大病院の医者という噂があるようですが…?
松原智恵子さんの結婚や旦那、子供や孫など家族について、年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。
松原智恵子さんのプロフィール
名前:松原智恵子(まつばら ちえこ)
本名:漆原智恵子(うるしばら ちえこ)旧姓松原
出生地:岐阜県
出身地:愛知県名古屋市
生年月日:1945年1月6日
年齢:74歳(執筆時)
身長:158cm
血液型:O型
学歴:菊華高等学校卒業、明治大学文学部(二部)英文科中退
職業:女優
所属事務所:グランパパプロダクション
松原智恵子さんの経歴。実家は裕福!
松原智恵子さんは1945年に母親の疎開先である岐阜県で生まれ、戦後に実家のある愛知県名古屋市に戻り、そこで少女時代を過ごします。
両親とも不動産業、旅館、銭湯などを経営する実業家で、実家は非常に裕福でした。
後に松原智恵子さんがデビューして上京したときに、お祝いに車や田園調布の家をプレゼントしたとか、年の離れた姉がキャデラックに乗っていたとか、後年のインタビューなどでサラリと金持ちエピソードを明かしていたりします。
4人きょうだいの末っ子で、1人の兄と2人の姉がおり、美人三姉妹として地元では有名だったのだそうです。
松原智恵子さんの芸能界入りのきっかけは、浅丘ルリ子さん主演の日活映画『十六歳』の宣伝活動の一環として催された「ミス16歳コンテスト」に入賞したことでした。
年の離れた上の2人の姉は地元の様々なミスコンに入賞しており、たくさんの賞品を持って帰ってくるのが羨ましかったから、というのが応募した動機だったのだとか。
同コンテストの副賞は東京旅行でした。当時キャビンアテンダントを目指して東京の外語大学を志望していた松原智恵子さんにとっては、絶好の賞品だったみたいですね。
高校生にしてすでに完成された、人目を引く美人だった松原智恵子さんは、同コンテストに順当に入賞を果たします。
副賞の東京旅行のコースの中に日活撮影所があり、その見学中にスカウトされ、61年の映画『夜の挑戦者』でデビューを果たします。
さらに同年の『明日に向かって突っ走れ』でヒロインデビュー。
以後、日活専属女優として『北上夜曲』『夕笛』ほか数多くの青春、アクションものでヒロインを演じます。
(『夕笛』より)
デビュー後の松原智恵子さんは、「1960年代を代表する名古屋美人の1人」と称され、吉永小百合さん、和泉雅子さんと共に「日活三人娘」と呼ばれ、絶大な人気を誇りました。
特に1967年のブロマイド売上では、吉永小百合さん、和泉雅子さん、酒井和歌子さん、内藤洋子さん、富司純子さんらそうそうたる顔ぶれを抑えて女優トップを記録。
60年代の日本映画の黄金時代の立役者の1人として活躍しました。
松原智恵子さんのフリー転身~現在
71年に入り、日活が一般映画の制作を中止すると、同社を離れ、テレビドラマにも多く出演するようになります。
日活時代も含め、『ある日わたしは』(68年)、『時間ですよ』(70年)、NHK大河ドラマ『国盗り物語』(73年)ほか、数多くのドラマに出演し、広くお茶の間の人気を博します。
特に主役を演じた『ある日わたしは』は平均視聴率23%、最高視聴率が40%を超えるなど大ヒット。
(『ある日わたしは』より。右はジュディ・オングさん)
ヒットのご褒美に、会社からハワイ旅行とカラーテレビをプレゼントしてもらうというおまけもあったそうで、松原智恵子さん自身にとっても非常に思い出深い作品となりました。
近年も、
『ゆずの葉ゆれて』(16年)
『僕らのごはんは明日で待ってる』(17年)
『えちてつ物語~わたし、故郷に帰ってきました。~』(18年)
『笑顔の向こうに』(19年)
『君がまた走り出すとき』(19年)
『長いお別れ』(19年)
(『ゆずの葉ゆれて』より。ソチ国際映画祭主演女優賞受賞)
などの映画、
『営業部長 吉良奈津子』(16年)
『ウツボカズラの夢』(17年)
『崖っぷちホテル!』(18年)
『やすらぎの刻~道』(19-20年)
などのドラマに出演。70代を迎えた今現在も、日本を代表する大女優の一人として、第一線で精力的に活躍を続けています。
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