うつみ宮土理さんといえば子供番組『ロンパールーム』などで知られていますが、近年は旦那愛川欽也さんの死去が話題になりました。うつみ宮土理さんの若い頃や旦那の逝去後の今現在に関心が集まっているみたいですね。

そのうつみ宮土理さんの結婚馴れ初めは?子供など家族は?

うつみ宮土理さんの年齢や身長、高校大学や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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うつみ宮土理さんのプロフィール

名前:うつみ宮土理(うつみ みどり)
本名:井川三重子(いがわ みえこ)旧姓内海
出身地:東京都世田谷区
生年月日:1943年10月1日
年齢:75歳(執筆時)
身長:156cm
血液型:A型
学歴:実践女子学園中学校・高等学校、実践女子大学文学部英文学科卒業
職業:タレント、司会者、女優、作家

うつみ宮土理さんの経歴、若い頃

うつみ宮土理さんは1943年東京都生まれ。父親は造園業を営んでいました。

実践女子学園中学校・高等学校を経て実践女子大学文学部英文学科に進学し、同科を首席で卒業。

朝日新聞に入社し、英字雑誌の編集部に勤務します。

当初、芸能界にまったく関心がなかったといううつみ宮土理さんが初めて芸能界に接点を持ったのは、仕事がきっかけでした。

子供番組『ロンパールーム』が2代目お姉さんを募集をしており、その取材のため、履歴書を書いて応募したところ、最終選考に残ることに。

最終選考に残った候補者の中でも、うつみ宮土理さんがとりわけ子供たちになつかれていたため、2代目お姉さんに抜擢されることになります。

同番組では「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな」というフレーズなどで、うつみ宮土理さんの存在が視聴者たちに強く印象づけられたようで、その後の3代目以降のお姉さんの芸名もすべて「みどり」と名付けられるほどだったのだとか。

芸能界で最初の仕事で大成功を収めたうつみ宮土理さんは、その後本格的にテレビのバラエティ番組に進出し、女優としてもドラマなどで活躍。

1970年のドラマ『おくさまは18歳』で演じた花咲ユメ子のセリフ「悔しいわ、悔しいわ、なんだかとっても悔しいわ」は流行語となりました。

(『おくさまは18歳』より。右がうつみ宮土理さん)

タレント、女優業以外にも、作家として『くねり坂』『紐育マサオ』などの小説や『うつみ宮土理のカチンカチン体操』などの健康法に関する本を執筆するほか、翻訳家としても活躍。

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うつみ宮土理さんの結婚馴れ初め、旦那は愛川欽也さん

私生活では、うつみ宮土理さんは1978年に俳優の愛川欽也さんと結婚します。

愛川欽也さんは1934年東京府生まれ。

後年の愛川欽也さんは司会者として有名ですが、当初は声優として洋画やアニメ、人形劇などで活躍。

アニメ『いなかっぺ大将』のニャンコ先生や、洋画『雨に唄えば』(NHK版)のジーン・ケリー演じるドンなど、数多くの著名な役を演じたことで知られています。

1971年の深夜番組『パックインミュージック』で人気を集め、以後『11PM』で大橋巨泉さんと共に司会者を務め、司会者としての名声を確立。

以後も『シャボン玉こんにちは』『なるほど!ザ・ワールド』『出没!アド街ック天国』など数々の人気番組で司会を務めます。

2人の馴れ初めは、72~74年の音楽番組『きんきんケロンパ歌謡曲』でコンビDJを務めたことから。

さらに75年のバラエティ番組『シャボン玉こんにちは』でも共演。

当時愛川欽也さんは既婚者でしたが、78年に離婚し、その直後にうつみ宮土理さんと再婚します。

以来2人は芸能界きってのおしどり夫婦として知られるようになり、2005年11月22日の「いい夫婦の日」に「パートナー・オブ・ザ・イヤー」に選出されます。

2人の絆や信頼関係には独特のものがあったようで、2007年には愛川欽也さんが当時28歳だった女性との不倫を報じられますが、うつみ宮土理さんは動じず、

「あんたカッコいいじゃん。世間は“現役”だと思うよ」

と一蹴、世間からバッシングされる夫・愛川欽也さんの援護をするなど、その器の大きいふるまいは話題になりました。

続きます。

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