吉永小百合さんと言えば、キューポラのある街、伊豆の踊子、天国の駅、北のカナリアたちなど、数々の名作映画で知られる大女優で、昔若い頃から年齢を重ねた今現在に至るまで、タモリさんはじめ、多くの熱烈なファン「サユリスト」の存在で知られています。

その吉永小百合さんの結婚馴れ初めや旦那の岡田太郎さん、子供のことなどについて、年齢や身長、高校大学や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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吉永小百合さんのプロフィール

名前:吉永小百合(よしなが さゆり)
本名:岡田小百合(おかだ さゆり)
出身地:東京都渋谷区
生年月日:1945年3月13日
年齢:72歳(執筆時)
身長:157cm
血液型:O型
学歴:精華学園女子高等学校中退、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業
職業:女優

吉永小百合さんは1945年東京都渋谷区生まれ。

父親の吉永芳之さんは東京大学法学部卒で、外務省嘱託などを経て出版社「シネ・ロマンス社」を経営していました。

しかし、吉永小百合さんの幼少の頃に事業に失敗し、家にお米がまったく無い日もあったといいます。借金取りが家に押し寄せることもあったようです。

吉永小百合さんは1957年、小学6年生のときにラジオドラマ『赤胴鈴之助』で芸能界デビューし、その後同名のテレビドラマでテレビデビューを果たします。

吉永小百合さんが芸能界での仕事をするにしたがって、次第に家の生活も楽になっていったといいます。

1959年には松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で映画デビュー。

(『朝を呼ぶ口笛』より)

翌60年に中学を卒業し、当時難関の名門都立として知られた東京都立駒場高等学校に入学します。

しかし、高校進学と同時に日活撮影所に入社し、芸能活動多忙のため、翌61年に私立精華学園女子高等学校(現・東海大学付属望洋高等学校)に転入学します。

1962年に映画『キューポラのある街』にヒロインとして出演し、ブルーリボン賞主演女優賞を17歳で史上最年少受賞します。

(『キューポラのある街』より)

また、同年ビクターから『寒い朝』で歌手デビューし、20万枚のヒットとなり、同年末の紅白歌合戦に初出場を果たします。

さらに、同年、橋幸夫さんとのデュエット曲『いつでも夢を』をリリースし、こちらも30万枚の大ヒットを記録し、日本レコード大賞を受賞。

60年代は浜田光夫さんと『キューポラのある街』『泥だらけの純情』『愛と死をみつめて』をはじめ数多くの日活映画で共演しています。

この吉永・浜田コンビの純愛路線映画は当時爆発的な人気を集め、最盛期には月に1本のペースで封切られ、最終的に2人の共演作は44本にものぼったといいます。

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以後も、女優として数多くの映画・ドラマに出演し、歌手としてもヒット曲を多数リリース。

歌手としては、『伊豆の踊子』など、主に自身の主演作の主題歌を歌い、紅白歌合戦に62年から66年まで連続出場しています。

(『伊豆の踊子』より)

女優としては、1985年に『おはん』『天国の駅』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を初受賞して以降、89年、01年、06年と計4度受賞(歴代1位)。

また、2006年に紫綬褒章、2010年に文化功労者、2015年に菊池寛賞を受賞など、多くの受賞(章)歴があります。

近年も、

『母べえ』(08年)
『まぼろしの邪馬台国』(08年)
『おとうと』(10年)
『北のカナリアたち』(12年)
『不思議な岬の物語』(14年)
『母と暮せば』(15年)
『北の桜守』(18年)

など、数多くの話題作に主演。日本を代表する大女優の1人として、70歳を過ぎた現在も第一線で活躍を続けています。

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