マルサの女、墨東綺譚、プライド・運命の瞬間などの映画、相棒、離婚弁護士シリーズなどのドラマをはじめ、数多くの作品で知られる俳優・津川雅彦さん。

昔の若い頃、デヴィ夫人とのことなどが話題のようですが、津川雅彦さんとはどのような人なのでしょうか?

また津川雅彦さんの妻や子供、兄弟など家族は?

津川雅彦さんの年齢や身長、高校大学や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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津川雅彦さんのプロフィール

名前:津川雅彦(つがわ まさひこ)
本名:加藤雅彦(かとう まさひこ)
出身地:京都府京都市
生年月日:1940年1月2日
年齢:78歳(執筆時)
身長:171cm
血液型:O型
学歴:明治大学付属中野高等学校、文化学院卒業卒業
職業:俳優
所属事務所:グランパパプロダクション

津川雅彦さんは1940年京都府生まれ。

父親は俳優の沢村国太郎さん、母親は女優のマキノ智子さん、兄は俳優の長門裕之さん、母方の祖父は「日本映画の父」と称される映画監督/プロデューサーのマキノ省三さんという芸能一家に育ちます。

子役として5歳の頃から何本かの映画に出演した後、1956年の日活映画『狂った果実』で石原裕次郎さん演じる主人公の弟役として本格デビューを果たします。

(『狂った果実』より。石原裕次郎さんと)

津川雅彦さんは当時、俳優業には興味がなく、ジャーナリスト志望だったそうですが、その頃すでに俳優として活躍していた兄・長門裕之さんに口説かれて出演を決意。

映画は大ヒットし、津川雅彦さんは一躍日活の二枚目看板スターになります。

(津川雅彦さんの若い頃)

そして、1958年に日活から松竹に移籍するも、以後はヒットに恵まれず、長い低迷の時代を迎えることになります。

1964年にフリーに転身し、テレビや舞台などに活躍の場を拡げるものの、なかなか再ブレイクを果たすことはかなわず、さらに1969年のデヴィ夫人との不倫騒動が報じられます。

当時デヴィ夫人はインドネシアのスカルノ大統領の夫人でしたが、65年のクーデターで失脚後、パリで亡命生活を送っており、69年に日本に一時帰国したときにパーティで知り合ったのだそうです。

その後デヴィ夫人はパリに帰りますが、津川雅彦さんはその後を追い、スイスで密会するなどし、再び話題になりますが、まもなく破局したといいます。

この一連の騒動により、津川雅彦さんは仕事が激減。

特にこのスキャンダルにより、それまでの正統派の二枚目を演じることが難しくなったのが大きな痛手だったといいます。

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マスメディアや世間からの厳しい批判を浴びていたさなか、テレビ演出家の松本明さんから、「今お前は嫌われ者だから、悪役をやれば喜ばれるぞ」と言われ、「必殺シリーズ」の『必殺仕掛人』(72年)に悪役としてゲスト出演します。

それまでの正統派二枚目俳優のイメージを覆す、個性的な悪役の演技は反響を呼び、以後も同シリーズの悪役として常連出演。

この必殺シリーズによりふたたび認知されるようになり、再ブレイクを果たします。

以後、数多くのドラマ、映画、舞台作品に出演。

特に脚本家・ジェームズ三木さん、作家・渡辺淳一さん原作の作品、伊丹十三監督作品には常連として数多く出演。

津川雅彦さん自身も、このお三方の作品を「三種の神器」と呼んで、深い感謝を示しています。

俳優以外にも、1978年にはおもちゃ販売会社「グランパパ」を立ち上げ、2006年には映画監督・マキノ雅彦として初監督作品『寝ずの番』を公開するなど、幅広く活躍。

まもなく80代に差し掛かろうとする現在に至るまで、日本を代表する名俳優の1人として、実業家として、映画監督として多彩な活躍を続けています。

なお、近年は、高齢のためもあり体調を崩しがちで、入退院と手術を繰り返し、2018年3月現在、酸素吸入器が日常的に欠かせないものになっているといいます。

2018年3月現在で、のべ18回の入院と13回の手術を繰り返してきたのだそうです。

2014年の『週刊女性』インタビュー時には、「のべ16回の入院と11回の手術」とあり、それから増えています。

今後も増えていく可能性がありますが、無理はなさらずに、これからも元気な姿で素晴らしい演技を届けていただきたいと思います。

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