80年代後半から、日本のポップスをリードしてきた大江千里さん、現在はジャズピアニストとしてニューヨークを拠点に活動されています。どんな経歴をお持ちなのか,結婚,嫁や本名,名前の由来,父親,家族,「Rain(レイン)」,留学についてなど、気になったので調べてみました。
大江千里さんのプロフィール
名前:大江千里(おおえ せんり)
本名:大江千里
出身地:大阪府藤井寺市
生年月日:1960年9月6日
年齢:59歳(執筆時)
学歴:関西学院大学経済学部卒業、ニューススクール大学卒業
職業:シンガーソングライター、ピアニスト、俳優
所属:ソニー・ミュージックパブリッシング
経歴
1960年9月6日、大阪府南河内郡美陵町(現・藤井寺市)で生まれます。
1963年、3歳のときからクラシックピアノを習い始めます。
1970年、小学4年生のときに聴いたギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」をきっかけに、ポップ・ミュージックに開眼。
1980年、関西学院大学経済学部へ入学、軽音楽部にに入部します。
「トニオ・クレイガー」というアマチュアバンドを率いて、自作曲の演奏のほか、神戸や芦屋などのライブハウスにも出演します。
1981年秋、大学2回生在学中に、CBSソニー(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)からスカウトされ、その後、SDオーディションで最優秀アーティスト賞を獲得。
大学生活や音楽の勉強のため、すぐにデビューはせず、ボーカルスクールでレッスンを受けます。
1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。
1983年5月21日、シングル「ワラビーぬぎすてて」、アルバム「WAKU WAKU」でデビュー。
1984年11月、味覚糖(後のUHA味覚糖)「DATE KISS」のCM曲「十人十色」がヒットし、出世作となります。
このCMは、初出演CMとなります。
1987年、フジテレビ系ドラマ「君が嘘をついた」に出演。
1997年4月から2001年4月まで、NHK「トップランナー」の司会を4年務めるなど、俳優・司会者としても活躍します。
1991年9月、TBSドラマ「結婚したい男たち」の主題歌・23作目のシングル「格好悪いふられ方」がオリコンチャート2位を獲得し、大ヒットとなります。
他にも「あいたい」「ありがとう」などのシングル曲がヒット。
恋愛模様をポップに歌った楽曲は、若い女性を中心に支持され、80年代から90年代にかけてヒット曲を量産します。
作詞・作曲・編曲家としても、松田聖子さん、光GENJI、渡辺美里さん、などのアーティストに多くの楽曲を提供、プロデュースも手掛けます。
テレビ番組の司会、ラジオのパーソナリティー、エッセイ執筆など、幅広い分野で活躍します。
2007年12月22日、ニューヨークでジャズを学ぶため、日本国内での音楽活動を長期休業すると、自身のブログで発表。
ジャズへの転向を考えるようになったのは、創作活動への苦悩があったと、後に話しています。
「デビュー以来、ラブソングが年々書けなくなっていった」といいます。
ジャズは10代から憧れていたといい、シンガーソングライター時代にも、インタビューなどで、「本当はジャズピアニストになりたかった」という旨の発言をしており、デビューから24年の歳月を経ての夢の実現となりました。
2008年、47歳のときに、日本国内での自身の音楽活動を休業し、ニューヨークに留学します。
その後も楽曲提供など、アーティストとしての活動は継続しています。
2012年5月、4年間通ったニューヨークのジャズの学校を卒業。
卒業と共に、自身のレーベルを設立します。
2012年7月、デビューアルバム「Boys Mature Slow」を発売、ジャズピアニストとしてデビューします。
2018年、デビュー35周年の記念盤として、アルバム「Boys & Girls」をリリース。
かつてのヒット曲をピアノソロでセルフカバーしました。
2019年9月、ジャズピアニストとして通算6作目のアルバム「Hmmm」をリリース。
現在はニューヨークを拠点に、米国各地、南米、欧州でライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動など、幅広い分野で活躍されています。
ライブ中止・留学
大江千里さんは、ジャズ大学に合格したことを、当時のマネージャーに伝えたところ、留められるんじゃないかと思っていましたが、「いいじゃないですか、その方向で話を進めましょう」と、背中を押されます。
クリスマスコンサートのロングランなど、年末まで予定の入っていたスケジュールを気にして、留学を躊躇していた大江千里さんに、「そっちはキャンセルの方向で話しますから、心配いりません」と背中を押してくれたそうです。
ジャズ大学のプロデューサーからは、”47歳でオリンピックで金メダルを目指すようなことはまず不可能。”と言われますが、「そんなことはない」と答えます。
しかし、その後のピアノの実技試験で、自分のレベルが上ではないということを思い知ったといいます。
大江千里さんは、ポップスの世界が完成されていて、ジャズのリズムを獲得することがとても難しかったのだそうです。
留学してから2年ほどは、仲間もいなく、辛い時期が続いていたそうです。
ある日、いつも通り演奏していたら、そこへ来た配達員が体を揺らし始め、自分の演奏にのってくれたときがあり、そのとき、”これはいけるんじゃないか、諦めちゃいけないんだ”と、すごく嬉しかったと話しています。
”もっと早く始めたらよかったということは思わなくて、諦めなければ何歳からでも始められる”と思ったといいます。
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