関根恵子として70年代、映画で活躍。改名後も映画,ドラマ,舞台に幅広く出演,活躍している女優・高橋惠子さん。その昔,若い頃~今現在までの経歴、結婚,夫,子供,孫について、”ガキ使”、”ガキの使い”についてなど、気になったので調べてみました。

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高橋惠子さんのプロフィール

名前:高橋惠子(たかはし けいこ)
本名:同じ
別名義:関根恵子(旧姓・旧芸名)
出身地:北海道川上郡標茶町(しべちゃちょう)
生年月日:1955年1月22日
年齢:66歳(執筆時)
身長:162cm
血液型:AB型
職業:女優
所属:ブロウアップ主宰

経歴

高橋惠子さんは、1955年1月22日、北海道川上郡標茶町に生まれます。

父の仕事の関係で釧路市など道内でいくつか転居したのち、小学生の頃に上京。

神奈川県相模原市立大野南中学校在学中に大映のスチールマンにスカウトされて、1970年、中学卒業と同時に大映に入社します。

同年8月、帯盛迪彦監督「高校生ブルース」でいきなり主演デビューし、女子高生の妊娠を描いた作品で、大胆なシーンも多く話題を集めます。

当時は本名の”関根恵子”の名で活動していました。


同年、臼坂礼次郎監督「おさな妻」では、女子高生ながら母・妻・学生の3つの顔を持って生きる少女を演じ、ゴールデンアロー賞新人賞を受賞します。

これらの作品は、10代の少女が愛と性の問題に悩み傷つきながら生きていく姿を描いた”レモンセックスシリーズ”という大映の人気レーベルとなります。



1971年に大映が倒産し、1972年に東宝に移籍。


移籍後の1972年、「太陽にほえろ!」にレギュラー出演。

高橋惠子さんが演じたシンコ役は、松田優作さん演じるジーパン刑事の恋人となり、『ジーパン・シンコ、その愛と死』などドラマティックなエピソードが作り上げられていきます。


映画でも、1973年熊井啓監督「朝やけの詩」で注目を集めるなど、順調に活躍していきます。

1979年に芸能活動を休止、半年後の1980年に復帰会見を開き、女優復帰を果たします。


1982年、高橋伴明監督の映画「TATTOO[刺青]あり」に出演。

これがきっかけとなり、同年6月、高橋伴明監督と結婚、芸名を『高橋惠子』に改名します。

以降も夫である高橋伴明監督作品に多数出演。二人三脚の関係を築いていきます。


1997年、蜷川幸雄演出の舞台「近松心中・それは恋」に出演し、18年ぶりの舞台復帰を果たします。

以降も、映画や舞台、ドラマなどに多数出演、多くの賞を受賞しています。

受賞歴
2002年「雁の寺」「藪の中」で読売演劇大賞優秀女優賞を受賞。
2004年「山ほととぎすほしいまま」「藪原検校」「ハムレット」で朝日舞台芸術賞、秋元松代賞を受賞。
2007年、近藤明男監督「ふみ子の海」で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。
以降も多くの賞を受賞しています。

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結婚・夫・子供は?

高橋惠子さんは、1982年、高橋伴明監督の映画「TATTOO[刺青]あり」に出演。

宇崎竜童さん演じる主人公が破滅の道に進んでいくきっかけを作る元恋人役を演じました。

これがきっかけとなり、同年6月、高橋伴明監督と結婚、芸名を『高橋惠子』に改名します。

以降も夫である高橋伴明監督作品に多数出演。二人三脚の関係を築いていきます。

子供は一男一女をもうけ、長女はタレントの秋山佑奈(あきやま ゆうな)さん。

秋山佑奈さんは、高橋惠子さんのマネージャーも務めています。

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