具志堅用高さんはかつて、元WBA世界ライトフライ級王者として13回の防衛を果たすなど、伝説的な元プロボクサーで、その偉大な業績は具志堅用高記念館に顕彰されていますが、現在はそのユーモラスな発言、キャラクターでタレントとして人気を博しています。

その具志堅用高さんの結婚、妻、子供(息子、娘)、また飼い犬のグスマンのことなど、家族について、年齢や身長、学歴や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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具志堅用高さんのプロフィール

名前:具志堅用高(ぐしけん ようこう)
出身地:沖縄県石垣市
生年月日:1955年6月26日
年齢:63歳(執筆時)
身長:162cm
血液型:A型
学歴:興南高等学校、法政大学通信教育部卒業
職業:元プロボクサー、タレント
所属事務所:太田プロダクション

具志堅用高さんの若い頃。現役時代

具志堅用高さんは1955年沖縄県石垣市(石垣島)生まれ。父親の具志堅用敬さんは元漁師で、現在は石垣島の具志堅用高記念館の館長を務めています。

具志堅氏は旧琉球王国の士族の家系という名門で、その通字として「用」が用いられています。(通字:名前に必ず用いる文字のこと、織田氏の「信」など)

地元の中学卒業後、沖縄本島の興南高等学校に進学し、ボクシング部に入部。天性の才能が開花し、3年生のときインターハイのモスキート級で優勝します。

拓殖大学に推薦合格していましたが、協栄ジムに半ば強引に勧誘される形で上京後は同ジムに入門。

以後、アルバイトをしながらボクシング漬けの毎日を送ります。

1974年5月にフライ級・牧公一戦でプロデビュー。

当時のプロはフライ級(約51kg以下)が最軽量で、アマチュア時代モスキート級(45kg以下)で戦っていた具志堅用高さんは苦戦を強いられますが、辛くも判定勝ちとなります。

幸運なことに、それから間もなくフライ級の下にジュニアフライ級(現・ライトフライ級)が新設されます。

それまで体格差に苦しんでいた具志堅用高さんは、同クラスに転向後、本来の実力を発揮するようになります。

そして1976年10月、WBA世界ライトフライ級王者のファン・ホセ・グスマンに挑戦し、見事KO勝ち。沖縄出身者初の世界王者となります。

以後、度重なる世界からの挑戦を退け続け、1980年6月1日のペドロ・フローレス戦での勝利をもって、13度目の防衛に成功。

世界王座防衛13度は日本人男子世界王者の最多記録になっています。

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具志堅用高さんの引退~現在

1981年3月8日に、前回挑戦者ペドロ・フローレスと14度目の防衛をかけて再戦。

しかし、序盤にパンチが目に入ってから次第に劣勢に追い込まれ、12ラウンドにてセコンドのタオル投入により世界王者陥落。

再戦を望むも、網膜剥離寸前と診断され、新婚の妻とも話し合った結果、引退を決意します。

引退後は解説者として活躍を始め、また1995年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男さんと「白井・具志堅スポーツジム」を開設。

現在は同ジムの会長として後進を育成し、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦選手、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣選手、元WBC世界フライ級王者の比嘉大吾選手など、優れた選手を多く輩出しています。

ボクシング以外にも、タレント活動にも参加するようになり、『クイズヘキサゴン』『くりぃむクイズ ミラクル9』などのクイズ番組をはじめ、数多くのバラエティ番組に出演。

そのユーモラスな発言とキャラクターで、多大な人気を博しています。

2014年には国際ボクシング名誉の殿堂博物館のオールドタイマー部門に選出。

ボクシング引退から40年近くが過ぎた現在も、名実ともに「レジェンド」としての存在感を放ち続けています。

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