石野真子さんと言えば、若い頃はアイドル歌手として、狼なんか怖くない、ジュリーがライバルなど数多くのヒット曲を生み出しましたが、年齢を重ねた今現在もとてもかわいいと評判です。

その石野真子さんの結婚、旦那、長渕剛さんとの離婚理由などについて、年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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石野真子さんのプロフィール

名前:石野真子(いしの まこ)
本名:同じ
出身地:兵庫県
生年月日:1961年1月31日
年齢:57歳(執筆時)
身長:156cm
血液型:A型
学歴:百合学院中学校、堀越高等学校卒業
職業:女優、歌手
所属事務所:フロム・ファーストプロダクション

石野真子さんは1961年兵庫県芦屋市生まれ。3人姉妹の長女で、次女は女優のいしのようこさん、三女は女優の宝乃純(石野敦子)さんです。

父親はハンドバッグ製造会社の社長で、裕福な家庭に生まれ育ち、兵庫県尼崎市のカトリック系女子校・百合学院中学校に進学します。

歌が好きだった石野真子さんは、当時放送されていたオーディション番組『スター誕生!』を観て、芸能界に憧れを持つようになります。

同番組はのちに石野真子さんを世に送り出しますが、他にも桜田淳子さん、山口百恵さん、城みちるさん、片平なぎささん、岩崎宏美さん、ピンク・レディー、柏原芳恵さん、小泉今日子さん、中森明菜さん、松本明子さん、岡田有希子さんなどを輩出した伝説的なオーディション番組として知られています。

中学時代の門限は16時半とされるなど、父親はとてもしつけが厳しかったものの、習い事には理解があり、石野真子さんは中学3年生のときに「平尾昌晃歌謡学院大阪校」のレッスン生になります。

そして、百合学院高等学校進学後、講師からその歌唱力を高く評価され、「君の実力ならきっと受かると思う」という勧めによって『スター誕生!』に応募。

1977年1月の同番組の大阪大会を圧倒的な成績で勝ち進んだ石野真子さんは、3月の決戦大会に出場。

なお、いずれの大会も歌唱曲はダニエル・ビダルさんの『天使のらくがき』でした。

そして、ビクター音楽産業、バーニング、田辺エージェンシー、キングレコード、ワーナーパイオニア、日本コロムビアほか、計16社からスカウトの意向を表明されるなど、決戦大会でも圧倒的な評価を受けます。

バーニングプロダクションに所属を決定し、その後約1年ほどデビューに向けたレッスンに専念。この時期に上京し、堀越高等学校に編入します。

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石野真子さんのデビュー~芸能界引退

そして1978年3月にシングル『狼なんか怖くない』でデビューを果たします。

また、同年『九月の空』で映画デビューし、3作目のシングル『失恋記念日』で同年の日本レコード大賞新人賞を受賞。

翌79年にドラマ『熱愛一家・LOVE』に出演し、ドラマデビューを果たします。

同年9月に『ジュリーがライバル』をリリース。同曲により同年の紅白歌合戦に初出場を果たします。

1980年、『ハートで勝負』で2回目の紅白歌合戦に出場。また、同年3月に編入した堀越高等学校を卒業します。

1981年4月からは古巣である『スター誕生!』の新司会を坂本九さんと共に務めるようになります。

しかし、そのわずか2ヶ月後の6月に、ミュージシャンの長渕剛さんとの結婚を前提とした交際を宣言(詳細は後述)。

7~8月の引退コンサートツアーを経て、8月31日の『夜のヒットスタジオ』生放送をもって芸能界を引退。『スター誕生!』司会も降板します。

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石野真子さんの芸能界復帰~現在

しかし、わずか2年後の1983年5月に離婚し、芸能界復帰を宣言。

以後は女優としての活動にも重点を置くようになり、『いのち』『君の瞳をタイホする!』『花より男子』『メイちゃんの執事』など、数多くの作品に出演。

(『いのち』より)

歌手としても80年代後半に『めぐり逢い』『ガラスの観覧車』『空にカンバス』、2000年代からも『Kira kira∞』『こっちを向いて』『東京タワー』などのシングルほか、アルバムやDVDを数多くリリース。

近年も、歌手としては2015年にシングル『へっちゃら平気の平八郎』、2018年にベストアルバム『MAKO PACK』をリリース。

また、女優としては

『にがくてあまい』(16年)
『グッバイエレジー』(17年)

などの映画、

『突然ですが、明日結婚します』(17年)
『ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』(17年)
『ボク、運命の人です。』(17年)
『定年女子』(17年)
『ハラスメントゲーム』(18年)

などのドラマほか、数多くの作品に出演。歌手として、女優として現在も第一線で活躍を続けています。

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