元宝塚トップスターの真矢ミキさん、「あきらめない」が話題ですが、現在も俳優として、そしてビビットの司会など司会業でも第一線で活躍しています。
真矢ミキさんの母親や旦那の西島千博(西島数博)さん、子供など家族について関心が持たれているようですね。
真矢ミキさんについて、年齢や身長、学歴や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。
真矢ミキさんのプロフィール
名前:真矢ミキ(まや みき)
本名:西島美季(にしじま みき)旧姓佐藤
出生地:広島県広島市
出身地:大阪府豊中市
生年月日:1964年1月31日
年齢:54歳(執筆時)
身長:166cm
血液型:O型
学歴:豊中市立第二中学校、宝塚音楽学校卒業
資格:「高等学校卒業程度認定試験」合格(高卒相当)
職業:俳優
所属事務所:オスカープロモーション
真矢ミキさんは1964年広島県生まれ。
父親は航空会社勤務で、後に日本エアシステム(現在は日本航空に統合)の重役にまで登りつめます。
父親の転勤により各地を転々とし、中学校の3年間を大阪府豊中市で過ごします。
中学時代の将来の夢は「短大を出て、お嫁に行きたい」という真矢ミキさんでしたが、母親が宝塚ファンということもあり、日舞を学ぶために宝塚コドモアテネに通うようになります。
宝塚コドモアテネは宝塚音楽学校の設備・講師陣を擁した声楽・バレエ・日舞のレッスンを行うスクールで、数多くのタカラジェンヌを輩出しています。
大地真央さんに憧れていた真矢ミキさんは、中学卒業後の1979年に宝塚音楽学校に進学し、81年に67期生として宝塚歌劇団に入団します。
同期には黒木瞳さん、涼風真世さん、毬藻えりさんらがいます。
音楽学校時代は下から3番目の「劣等生」だったという真矢ミキさんは、「芸ではかなわなくても、個性を活かした見せ方を工夫をすれば良い」という考え方をするようになったといいます。
宝塚歌劇団では、初舞台から注目を浴びます。それまで男役にはなかった長髪や薄いメイク、肩パッドを使わないなどの独特なスタイルを取り入れ、個性派スターとしての道を歩みます。
(宝塚時代の真矢ミキさん)
1995年に花組トップスターに就任し、1998年まで務めます。
宝塚時代は、その独特なスタイルや、つんく♂さんプロデュースの日本武道館ソロコンサート、篠山紀信さんによる写真集の出版など、宝塚に新風を吹き込み「ヅカの革命児」の異名を取る存在でした。
このような経歴のため、宝塚歌劇団退団後は鳴り物入りで芸能界入りを果たしますが、その後は鳴かず飛ばずだったといいます。
そして、2002年には当時の所属事務所の田辺エージェンシーから「戦力外通告」を受けて退所。一時芸能界からの離脱を余儀なくされ、当時は「どん底」にあったといいます。
しかし、その後一念発起して『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(03年)のオーディションを受け、沖田仁美役に抜擢。
(『踊る大捜査線』より)
2003年に芸能事務所・ブルーミングエージェンシーに所属し、芸能界復帰を果たします。
見事復活を果たした真矢ミキさんは、以後、数多くのドラマ、映画に出演。
2006年から2009年にかけて、
「(女性)上司の理想像」
「カッコいい女性有名人」
「母親になってほしい女優」
「女性が選んだ”イイ女”だと思う女性有名人」
などの調査で軒並み上位にランクインするなど、一般にも広く知られる存在となります。
2015年3月にオスカープロモーションに移籍。同月から情報番組『ビビット』の司会に就任。
2017年8月29日には「高等学校卒業程度認定試験」合格。超多忙なスケジュールの合間を縫って、1月から塾に通い始め、1日5時間の猛勉強をしていたといいます。
多忙な本業との兼ね合いがあるので、簡単ではないものの、今後は大学を目標に見据えているとのことです。
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