清水ミチコさんのモノマネライブや作曲法ネタ、youtubeが話題です。

その清水ミチコさんの結婚、旦那、子供(娘)、孫など家族について、経歴や学歴、身長や年齢などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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清水ミチコさんのプロフィール

名前:清水ミチコ
本名:坂田美智子(旧姓 清水)
出身地:岐阜県高山市
生年月日:1960年1月27日
身長:162cm
血液型:B型
学歴:文教大学女子短期大学部家政科卒業卒業
職業:ものまねタレント、女優、歌手
所属事務所:ジャムハウス

清水ミチコさんは1960年岐阜県高山市生まれ。

実家は父親の開業した喫茶店で、現在は弟さんが経営しています(後述)。

小学生の頃から、友達と一緒に天地真理さんや桜田淳子さん、山口百恵さんなどモノマネをなさっていたそうです。

(中学生の頃の清水ミチコさん)

高校卒業後、文京女子短期大学への進学に伴い上京。当時は自分のモノマネが特別なものとは思っておらず、「モノマネはみんなができるもの」だと思っていたのだとか。

「夜中になると日本全国のみんなが自分の部屋でモノマネをしている」と本気で思っていたそうです。

というわけで、この頃の清水ミチコさんは特に芸能界を意識はしていなかったようです。

元々清水ミチコさんは実家のお店を継ごうと考えていたらしく、短大卒業後に喫茶店を継ぐためにパティシエを志し、何軒かの洋菓子店で修行していたといいます。

その頃の清水ミチコさんは、修行の傍らいわゆる「ハガキ職人」としてラジオ番組にネタを投稿しており、採用されることも多くなり、自信をつけていたそうです。

当時働いていたデリカテッセンの店主の親戚にNHKのディレクターがいたらしく、その紹介でラジオ番組の構成作家をさせてもらえることに。

そして、1983年に、クニ河内さんのラジオ番組「ラジオ・ギャグ・シャッフル」で構成作家兼出演者としてデビューし、話題を呼びました。

清水ミチコさんによると、脚本は最初からスラスラ書けたのだとか。パイ生地を練りながら、笑えるネタをたくさん考えたりなど、楽しく余裕を持ちながら構成作家の仕事に臨めたのだそうです。

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清水ミチコさんの芸能界本格デビュー~現在

1986年に渋谷のライブハウス「ジァンジァン」にモノマネ芸で出演したところ、偶然来ていた永六輔さんに認められ、以後いろんな出番の機会を提供してくれるようになったといいます。

そして翌1987年にフジテレビの新人発掘番組「冗談画報」でテレビ初出演を果たし、さらに同年「笑っていいとも」のレギュラーに抜擢。その知名度、人気は全国区に広がっていきました。

また、歌手としても同年、シングル「幸せの骨頂」をリリース。まさに87年は清水ミチコさんの大ブレイクの年となりました。

しかし、すぐに壁にぶち当たります。1988年にバラエティ番組「夢で逢えたら」でダウンタウンとウッチャンナンチャン、野沢直子さんと共演し、コントでの簡単なアドリブもできず、実力の違いを見せつけられ、自信を喪失。

模索する中でたどり着いたのが、「伊集院みどり」という新キャラクターでした。

このキャラクターが人気投票で1位となるなど大ヒット。それまでは毎日が「楽しくなかった」「怖かった」のだそうですが、この「伊集院みどり」のおかげで、演じることの楽しさ、気持ちよさを実感することができるようになったといいます。

この「夢で逢えたら」が大きな転機となり、清水ミチコさんは心身ともに大きく成長することができたと振り返っています。

(90年頃の清水ミチコさん)

以後、ものまねタレントとして快進撃を続け、大竹しのぶさん、松任谷由実さん、桃井かおりさん、矢野顕子さんはじめ、数多くの著名人のものまねで知られるほか、数多くのバラエティ番組に出演。

また、女優として数多くのドラマ、映画に出演し、ラジオパーソナリティ、youtuberとしても活躍するなど、多才なマルチタレントとして活躍を続けています。

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