芸人・ヒロシさんと言えば「ヒロシです」のネタで知られていますが、現在はキャンプやユーチューバー、お店の経営など、多方面で活躍なさっているみたいですね。

その芸人・ヒロシさんについて、現在の生活、結婚や彼女などについて、wikiプロフィールとともに調べてみました。

ヒロシさんのプロフィール

名前:ヒロシ
本名:齊藤健一(さいとう けんいち)
出身地:熊本県荒尾市
生年月日:1972年1月23日
年齢:46歳(執筆時)
身長:175cm
血液型:O型
学歴:九州産業大学商学部商学科卒業
職業:芸人
所属事務所:ヒロシ・コーポレーション

ヒロシさんは1972年熊本県出身。父親は実家の近くにある炭鉱に勤めていました。

三井三池炭鉱の万田坑と呼ばれる炭鉱で、現在は閉鎖されていますが、2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として世界遺産に登録されています。

ヒロシさんが小学生のころは漫才ブームで、特にツービートの漫才にあこがれて、早くに芸人になりたいと思うようになったといいます。

ただ、子供の頃のヒロシさんは、あまりコミュニケーションが得意ではなく、先生に言っても本気にされなかったのだそうです(^_^;)

大学卒業後は保険の営業を経て、吉本興業福岡事務所に入所し、漫才コンビ「ベイビーズ」を結成。当時は「キレ芸」をしていたといいますが、鳴かず飛ばずで結局3年ほどで退所。

26歳のときに相方ら芸人仲間と上京し、コンビ活動を続けますが、やはり鳴かず飛ばずで結局コンビは解散。相方は地元福岡に帰ってしまいます。

解散後のヒロシさんは生活のために歌舞伎町で「冴神 剣」の源氏名でホストとして働き始めます。

過酷な労働環境、極端な低賃金(月給3万円ほど)、女性関係のトラブルなど、大変な時代だったようで、ヒロシさんは後年、ホスト時代のことを「生き地獄だった」と回想しています。

いつも芸人に戻ることが頭を離れなかったというヒロシさん、ホストをやめた後は実家の熊本に帰り、引きこもってひたすらノートにネタを書き溜めます。

このときに、モテなかった少年時代、過酷でトラブル続きだったホスト時代など、過去の自分の境遇を自虐する一連の「ヒロシです」のネタが誕生したわけですね。

ちなみに「ヒロシ」という芸名は、生島ヒロシさんから採ったそうで、たまたま家にあった雑誌の表紙が生島ヒロシさんだったという理由なのだとか。

「ヒロシです」のネタは作ってすぐに注目されたわけではないみたいですが、2004年の『笑いの金メダル』に何回か出演するようになり、認知度が急上昇。ブレイクの礎となります。

この頃には収入も大幅増加し、家賃2万円の4畳半から家賃13万円の2LDKへの引っ越しも実現したそうですね。

翌2005年は『R-1ぐらんぷり』で決勝進出、さらに同年の『第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で優勝するなど、ヒロシさんの大ブレイクが決定づけられます。

全盛期のヒロシさんの勢いはものすごく、最高月収はなんと4000万円(!)に達したのだそうです。

年収でもすごいのに、月収ってヤバいですよね…

ヒロシさんのブレイクその後。一発屋と呼ばれる

しかし、その大ブームもすぐに終焉を迎えます。どうやらヒロシさんのコミュニケーションに対する苦手意識、あがり症などの性格や気質が大きな理由だったみたいですね。

やがて、自ら「テレビに出ません」と事務所に宣言し、ヒロシさんは表舞台から去っていきます。

「消えた」後のヒロシさんは、しばらくは旅行や釣りなど、貯金を崩しながら悠々自適に見える生活を送っていました。

しかし、やがて生活のために仕事を再開しようとするものの、「人と会うのが怖い」という理由で職にありつけず、次第に精神的に追い詰められていったといいます。

自殺願望を持つようになるなど、その精神状態は生命の危機のレベルにまで達したそうで、精神科でパニック障害と診断され、薬物治療を受けるようになったのだとか。

そんな中、事務所からマネージャーとして佐方麻緒さんを紹介され、その勧めにより少しずつ芸人としての活動を再開。精神状態も少しずつ快方に向かっていきます。

以後、『笑っていいとも!』『しゃべくり007』『しくじり先生』など数多くの人気番組に出演、テレビ復帰を果たし、

『「モテない人」と「仕事がない人」の習慣 – ダメ男、38のエピソード -』『ネガティブに生きる。ヒロシの自虐的幸福論』、日めくりカレンダー『まいにち、ネガティブ。』などの著作がヒットするなど、芸人としての再ブレイクを遂げます。

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