岡田奈々さんの事件
岡田奈々さんはアイドル時代の1977年3月に堀越高等学校を卒業し、4月に戸板女子短期大学に進学します。
同年7月15日未明に、東京都港区にある岡田奈々さんの自宅マンションの窓から暴漢が侵入するという事件が起きました。
犯人は岡田奈々さんにナイフを突きつけ、両手両足を縛り、さるぐつわをかけた状態で6時間にわたって監禁。
岡田奈々さんはナイフをよけようとして両手を負傷し、30針を縫う大怪我を負います。
犯人はそのひどい出血ぶりを見て、シーツを破り包帯をして介抱し、また岡田奈々さんの要求に応えて水を飲ませたり、冷蔵庫からトマトを取り出して食べさせるなどしていたのだそうです。
不思議な行動ですが、犯人は岡田奈々さんのファンを自称しており、アイドルとしての心構えなどについて説教したり、新曲を本人の前で歌ったりなどの行動を取っていたといいます。
その後、犯人は岡田奈々さんの拘束を解き、岡田奈々さんの血に染まった包帯やシーツなどを持って、朝方にマンションを立ち去ります。
岡田奈々さんはその直後に110番し、事件が発覚。事件から数日後に、岡田奈々は手に包帯をした痛々しい姿で記者会見に臨みます。
このときのマスコミの興味は、案の定というべきか、当時清純派アイドルとして頂点にあった岡田奈々さんが、犯人に「性的な暴行」を加えられなかったかどうか、ということに集中しました。
岡田奈々さんは性的な暴行は一切加えられなかったと弁明しますが、ほとんどの芸能メディアはその弁明を額面通りには受け取らなかったといいます。
そのため、この事件は岡田奈々さんの清純派アイドルのイメージに影を落とすこととなり、岡田奈々さんが事件後アイドル歌手から女優業へと転向したのは、それが遠因だとも言われています。
なお、犯人のその後についてですが、残念ながら逮捕されることはなく、そのまま時効が成立してしまいました。
ただ、これには逸話があって、真相は不明ですが、作家の安部譲二さん(元・暴力団員)が塀の中にいたときに、ある受刑者の一人から、岡田奈々さんを襲ったことを自慢げに吹聴されたことがあったのだそうです。
岡田奈々さんの熱烈なファンだった安部譲二さんは、その場でその受刑者に強烈な「制裁」を加え、さらに刑期が延びてしまったのだとか。
ちなみに、岡田奈々さんが出演した1987年の映画『塀の中のプレイボール』は安部譲二さんの同名小説が原作で、安部譲二さんたっての希望で岡田奈々さんの出演が実現したのだそうです。
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