加賀まりこさんと言えば、その奔放な言動と男性遍歴から「小悪魔」と称されていますが、若い頃も年齢を重ねた今現在もかわいいと評判です。麻雀好きも有名ですね。
その加賀まりこさんのパートナーや子供、彼氏などについて、年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。
加賀まりこさんのプロフィール
名前:加賀まりこ(かが まりこ)
本名:加賀雅子(かが まさこ)
出身地:東京都
生年月日:1943年12月11日
年齢:75歳(執筆時)
身長:156cm
血液型:O型
学歴:明星学園高等学校中退
職業:女優
所属事務所:有限会社活動屋
加賀まりこさんの経歴、若い頃
加賀まりこさんは1943年東京・神田小川町に生まれ、新宿・神楽坂で育ちます。
父親は大映のプロデューサー・加賀四郎さん、兄は大映・松竹プロデューサーの加賀祥夫さんです。
また、伯父が松竹常務の加賀二郎さん、その子息で加賀まりこさんの従兄弟にあたる加賀義二さんが日本テレビプロデューサーという、まさに芸能一家に生まれ育ちました。
加賀まりこさんは13歳上の姉と12歳上の兄がいる末っ子で、甘やかされて育ったそうで、子供の頃から言動が奔放で毒舌だったといいます。
姉の影響で小学生の頃から読書に傾倒し、澁澤龍彦翻訳の「マルキ・ド・サド選集」を愛読したり、一人でタクシーに乗ったり、美容院に行ったりなど、非常に早熟な子供に育ちます。
また、運動神経も抜群で、中学2年生のときには走り幅跳びで都大会で優勝しています。
ちょうど東京オリンピックが決まっていた頃で、父親に焚き付けられたのがきっかけだそうですが、それにしてもすごいですね。
伯父の加賀一郎さんが1920年のアントワープオリンピックの日本代表だったそうで、血のなせるわざなのかもしれませんね。
ちなみに父方の祖父が元衆議院議員の加賀卯之吉さんとのことで、加賀まりこさんは相当なエリートの一族に生まれついたようですね。
明星学園高等学校に進学後は行動範囲が広がり、麻布の高級イタリアン「キャンティ」に学生服姿のまま通うようになりました。
キャンティは1960年に開店して以来、芸能人、政治家、財界人、作家、音楽家、芸術家など各界著名人が多く常連客として集い、西洋のサロンにも喩えられるその文化的な雰囲気と客層から、伝説的なイタリアン・レストランとして知られていました。
当時から、加賀まりこさんはキャンティのオーナー夫人であった川添梶子さんの自立した生き方に強い憧れを抱いていたといいます。
加賀まりこさんのデビュー~現在
そんな加賀まりこさんの転記は1960年のこと、通学姿を見かけた映画監督の篠田正浩さんと、演出家・劇作家の寺山修司さんに路上でスカウトされます。
そして、フジテレビドラマ『東京タワーは知っている』で芸能界デビューを果たします。
その後、松竹と新人契約を交わし、62年に『涙を、獅子のたて髪に』で映画デビュー。
こちらが若い頃の加賀まりこさんです。
とても可愛いですね。
その演技力と小悪魔的なルックスで人気を博した一方で、その気の強さや歯に衣着せぬ発言などがしばしば波紋を呼ぶことになり、週刊誌などの格好の標的にされるようになります。
超多忙な毎日と、自分に対する、事実に基づかない、イメージだけで書かれたメディアの論調などに嫌気が差したという加賀まりこさんは、20歳の時に半年先のスケジュールまでをすべてキャンセルし、単身パリに渡ります。
パリでは、
イヴ・サン=ローラン(ファッションデザイナー)
フランソワ・トリュフォー(映画監督)
ジャン=リュック・ゴダール(映画監督)
フランソワーズ・サガン(作家)
といった人々と交流するなど、非常に華やかな交友関係を持つようになります。
半年後、帰国を考え始めていたときに演出家の浅利慶太さんから舞台出演を打診され、帰国後に劇団四季の舞台『オンディーヌ』に出演。
(隣は北大路欣也さん)
この舞台は大成功を収め、日生劇場(劇団四季の常設劇場が入っている)始まって以来の大入りを記録。
加賀まりこさんは初めて女優としての喜びを知り、演じることに本腰を入れるようになったといいます。
以後も数多くのドラマ、映画、舞台に出演。
女優として第一線で活躍を続けるのに並行して、芸能界きっての雀士としても活躍。『THEわれめDEポン』では4回の優勝経験もあるなど、かなりの実力の持ち主として知られています。
近年も映画『サクラダリセット 前篇』(17年)、ドラマ『やすらぎの郷』(17年)『僕とシッポと神楽坂』(18年)『やすらぎの刻~道』(19年)など、数多くの作品に出演。女優として第一線で活躍を続けています。
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