内海桂子師匠といえば、半世紀にわたる内海好江師匠とのコンビで知られる大漫才師ですが、芸歴80年を超えた今現在も現役で活躍中、ツイッターも話題です。

その内海桂子師匠の夫・成田常也さんとの結婚生活、馴れ初め、また弟子や子供のことなどについて、年齢や学校、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

内海桂子さんのプロフィール

名前:内海桂子(うつみ けいこ)
本名:安藤良子
出生地:千葉県銚子市
出身地:東京市浅草
生年月日:1922年9月12日
年齢:96歳(執筆時)
血液型:A型
職業:漫才師
所属事務所:マセキ芸能社

内海桂子さんの若い頃

内海桂子さんは1922年、駆け落ちした両親の元に、千葉県銚子市に生まれます。

母親は東京の床屋の娘、父親はその近所に住む籐を扱う腕の良い職人でしたが、やがて博打で身を持ち崩し、母親は内海桂子さんを連れて東京に戻ります。

その後、尋常小学校に通いますが、母親が再婚して出産。

家計を助けなければ、と思った内海桂子さんは、1930年、3年生のときに尋常小学校を中退し、蕎麦屋「神田錦町 更科」の子守の奉公に行くことにします。

奉公が終わって家に戻ると、母親からの勧めで三味線や日本舞踊を習い始め、1935年、13歳頃に芸人に声を掛けられ、地方巡業に加わることになります。

1938年、16歳のときには、夫婦漫才師の高砂家と志松・雀屋〆子の〆子さんの産休中の代役でと志松さんと組み、漫才初舞台を踏みます。

やがて高砂家と志松さんと不倫の仲になり、妊娠。

1941年、19歳のときに長男を出産します。

1942年に高砂家と志松さんとのコンビを解消し、三枡家好子の芸名で、満州へ慰問巡業します。

帰国後、林家染芳さんとコンビを組むことになり、敗戦後の1946年、長女を出産。

婚姻届を提出したものの、戦中・戦後のゴタゴタで受理されておらず、未婚のままだったといいます。

戦争が終わり、漫才の仕事がなくなると、吉原での団子売り歩きや田原町でのキャバレーの女給などを務めながら糊口をしのぎます。

しかし、夫の林家染芳さんが博打や薬物にのめり込むようになり、別離。

内海桂子・好江の結成~現在

1950年、戦後しばらくして、浅草の劇場や寄席が立ち直ってきて、内海桂子さんにも声が掛かるようになり、当時14歳だった内海好江さんとコンビを結成。

「内海桂子・好江」の誕生でした。

内海桂子さんは、当時三味線も踊りもできなかった好江さんを猛特訓し、好江さんはそれに応えて猛練習を重ね、実力を身につけていきます。

1956年、満を持して「第一回NHK漫才コンクール」に挑戦するも優勝を逃し、第二回も第三回も叶いませんでした。

それを苦にした内海好江さんは、睡眠薬で服毒自殺を図ったそうですが、一命をとりとめます。

1958年の第四回で、ようやく優勝を勝ち取ります。

以後、「内海桂子・好江」は破竹の快進撃を続け、

1961年 芸術祭奨励賞受賞
1980年 日本芸能実演家団体協議会功労賞表彰
1982年 芸術選奨文部大臣賞受賞(漫才で初)
1987年 第15回日本放送演芸大賞功労賞受賞
1988年 花王名人劇場功労賞受賞
1989年 紫綬褒章受章
1990年 第7回浅草芸能大賞受賞
1994年 第45回放送文化賞受賞
1995年 勲四等宝冠章受章

など数々の賞(勲章)を受賞(章)します。

1997年に内海好江さんが胃がんのため、61歳で亡くなり、以後内海桂子さんはピン芸人として舞台に立つようになります。

以後も芸人として舞台に立ちながら弟子を育成し、ドラマや映画、バラエティ番組、著作の出版など、卒寿を優に超えた今現在も、漫才師・女優・タレント・作家として第一線で活躍を続けています。

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