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川崎麻世さんはハーフ!?

川崎麻世さんといえば、その日本人離れした顔立ちから、ハーフと思われることが多いようですね。

実際、川崎麻世さんによると、「ほぼ毎日聞かれる」のだそうです。

しかし、ご本人によると、純粋な日本人とのこと。

後述しますが、父親の元俳優・安住譲さんがやはり濃い目の顔立ちでハーフっぽい風貌でした。

さらに川崎麻世さんの母親によると、その父親(川崎麻世さんの祖父)は、まるで外国人のような顔立ちだったのだとか。

川崎麻世さんはアメリカ人のカイヤさんとの間に1男1女がおり、こちらはリアルでハーフです。

そのことを受けて、川崎麻世さんはご自身のことを「歴代俺が一番醤油顔やん」と言及。

あの顔立ちでそれは相当すごい家系ですよね^^;

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川崎麻世さんの母親

川崎麻世さんの母親は、現在、大阪府枚方市にある喫茶店「コハク」を経営なさっています。

こちらが最近の母親のお姿です。80半ば過ぎとのことですが、若々しくてお綺麗ですね。

「コハク」は創業1957年で、母親の実家の家業だったそう。離婚後、幼い川崎麻世さんを連れて実家に戻り、女手一つで家業を継いで川崎麻世さんを育て上げたということですね。

現在80代半ば過ぎというご高齢ながら、ご健在の様子。背筋もピンと伸びていて、テキパキとお店のお仕事をこなされているようです。

ちなみに若い頃の母親の姿はこちらです。

映画女優と見紛うくらいお綺麗な方だったのですね。

父親の安住譲さんとともに文句なしの美男美女カップルですね。川崎麻世さんが美形に生まれるのも当然ですよね。

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川崎麻世さんの父親は俳優の安住譲さん

川崎麻世さんの父親は元俳優の安住譲さんです。

昭和9年(1934年)生まれ。60歳で癌で逝去されています。

赤ん坊のときに両親が離婚し、父親とは生き別れになった川崎麻世さんでしたが、30歳のときに奇跡的に再会を果たしたそうです。

しかし、その時、安住譲さんは末期がんを患っており、再会からわずか半年で他界したといいます。

こちらのサイトhttps://moviewalker.jp/person/100567/によると、1959年~1963年にかけて14本の映画に出演したという記録が見えます。

「武士道無残」(1960年)
「あんみつ姫の武者修行」(1961年)
「第三捜査命令」(1961年)
「千両鴉」(1961年)
「母と娘」(1961年)
「切腹」(1962年)
「無宿人別帳」(1963年)

等の作品に出演しています。松竹に所属しており、出演映画はいずれも松竹のもののようですね。現代劇もありますが、時代劇の方がメインだった印象です。

1963年以降の出演記録は見つかりませんでした。川崎麻世さんによると、自分が15歳のとき(1978年頃)にマスコミの報道で生きていることを知った、とのことですから、その頃にはもう芸能界からは去っていたのでしょうね。

安住譲さんのことは、川崎麻世さんのアメブロに度々登場します。ほとんど一緒にいられる時間は持てませんでしたが、それでも父親の存在は大きいようで、度々父親のことを偲ぶ投稿をなさっています。

30年くらいぶりの再会を果たしたとき、安住譲さんはほとんど話すことができなかったそうですが、涙を流して再会を喜んでくれたのだとか。

やはり離れ離れになっても親子なのですね。

安住譲さんは離婚後、再婚し、娘をもうけています。川崎麻世さんの異母妹にあたりますね。(腹違いの)妹さんとは、安住譲さんが亡くなった後も、お墓参りなどで会ったりしているみたいです。兄妹仲はとても良さそうです。安住譲さんが新しく繋いでくれた縁ですね。

以上、川崎麻世さんについてでした。最後までお読みいただきありがとうございました。