「高校教師」ヒロインで一躍人気女優となった桜井幸子さん。2009年突然の引退宣言でも話題となりました。その昔,若い頃~今現在について、引退理由や元夫,田中聡さんとの結婚,離婚,子供はいるのか、妹・桜井貴子さん、現在は再婚してアメリカ,ロサンゼルスに住んでいるとの噂、泉ピン子さんとの関係についてなど、気になったので調べてみました。
桜井幸子さんのプロフィール
名前:桜井幸子(さくらい さちこ)
本名:さくらい ゆきこ(漢字は同じ)
出身地:千葉県大網白里市
生年月日:1973年12月20日
年齢:47歳(執筆時)
血液型:A型
学歴:堀越学園高等学校卒業
職業:女優、アイドル、歌手、司会者
所属:サンミュージックを経て、オフィスニグンニイバ(2009年12月31日に芸能界を引退)
経歴
桜井幸子さんは、1973年12月20日、千葉県山武郡大網白里町(現・大網白里市)に、1男4女の長女として生まれます。
千葉県松戸市育ち。
1988年、サンスターアクアフレッシュのCMオーディションでグランプリを受賞したのをきっかけに芸能界入り。
同CMで芸能界デビューを果たし、1989年、テレビドラマ『スワンの涙』で女優デビュー。
同期には高橋由美子さんがいます。
1990年には、CBS・ソニーよりアイドル歌手活動も行っていましたが、その後は女優に専念します。
映画『おあずけ』で主演した他、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』ではバラエティー番組のコントに挑戦しました。
1992年、NHK連続テレビ小説『おんなは度胸』でヒロインを務めます。
翌1993年には、テレビドラマ『高校教師』で、真田広之さん演じる主人公と恋に落ちる女子高生・二宮繭役を演じ、一躍人気女優となります。
高校教師と恋愛関係に落ちる女子高生を演じ、衝撃的なストーリーとともに話題となりました。
桜井幸子さんは、野島伸司氏が脚本を執筆したテレビドラマの常連となり、1994年の『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』、1995年の『未成年』と野島三部作すべてに出演しました。
以後も1997年の連続ドラマ『友達の恋人』、2009年の連続ドラマ『コンカツ・リカツ』などに主演しています。
2003年2月20日に、音楽プロデューサーの田中聡さんと結婚しますが、2006年4月27日に離婚。
2009年12月28日、所属事務所の公式サイト上において、2009年限りでの芸能界引退を表明します。
2020年6月、2004年に放送されたドラマ『Dr.コトーの診療所』(フジテレビ系)の特別編が、16年ぶりに再放送されます。
ネット上では、再放送が発表された後、「桜井幸子、復帰しないかな」「こんな方、今、中々いない。また見たい」という声が挙がりました。
結婚・離婚・旦那・子供は?
桜井幸子さんは、2003年2月20日に、音楽プロデューサーの田中聡さんと結婚しますが、2006年4月27日に、「すれ違い」を理由に離婚します。
2人の間に子供はいなかったそうです。
桜井幸子さんは、2003年2月、30歳のときに、13歳年上のフリーの音楽プロデューサー・田中聡さんと結婚します。
桜井幸子さんが1990年に歌手デビューした際、田中聡さんがプロデュースをしたことが2人の出会いだったそうです。
その6年後から交際がスタートします。
2人は7年もの恋を実らせ、桜井幸子さんの30歳の誕生日に当たる2003年12月20日に入籍します。
しかし、2006年4月27日、離婚を発表。
結婚生活は2年4ヶ月でした。
桜井幸子さんは所蔵事務所からFAXで離婚したことを報告しています。
桜井幸子さんの直筆の署名が入ったFAXで、
「お互いの仕事の関係上、時間のすれ違いが生じ(中略)」
と離婚の理由を説明しています。
そして、
「離婚した後もお互いよい友達としてお付き合いして行きたいと思っております」
と結んでいたそうです。
最後の一文は、桜井幸子さんのデビュー曲のタイトル「ともだちでいようよ」を意識しているのではないか?との声も上がっていたようです。
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