あみん「待つわ」やソロでは「夢をあきらめないで」で知られるシンガーソングライター・岡村孝子さん。2019年は白血病の病気も心配されました。美人でも有名な岡村孝子さんの昔,若い頃,あみん時代~現在まで経歴、結婚,夫,娘や近況についてなど、気になったので調べてみました。
岡村孝子さんのプロフィール
名前:岡村孝子(おかむら たかこ)
出身地:愛知県岡崎市
生年月日:1962年1月29日
年齢:58歳(執筆時)
学歴:椙山(すぎやま)女学園大学中退
職業:シンガーソングライター
所属:Cotton
経歴
岡村孝子さんは、愛知県岡崎市西本郷町に生まれ育ちます。
岡崎市立矢作西小学校、岡崎市立矢作中学校、愛知県立岡崎北高等学校を卒業。
1981年、名古屋市の女子大学である、椙山女学園大学に入学。
同大学星ヶ丘キャンパス在学中に、同級生の加藤晴子さんとデュオ「あみん」を結成します。
1982年の春、ヤマハポピュラーソングコンテストに出場、「待つわ」(作詞作曲:岡村孝子さん)を歌って、グランプリを受賞します。
同曲は、あみんのデビューシングルとなり、1982年のオリコン年間売上1位となる大ヒットを記録します。
同年には、第33回NHK紅白歌合戦にも出場します。
1983年、「あみん」の活動を休止。
椙山女学園大学を中退後、花嫁修業をしていましたが、そのときにもソロ活動を求める声があり、ソロとして1985年に、岡村孝子として単独デビューします。
1986年、来生たかおさんの「はぐれそうな天使」のカバーを歌ったところ、ホンダのコマーシャルに起用され、一気に人気が高まります。
1987年、「夢をあきらめないで」を発表。
応援歌的な内容が幅広い層から支持を集め、岡村さんの代表作になりました。
岡村さんは「ただの失恋ソングのつもりで作りました」とインタビューで語っていますが、流行り廃りのない言葉で綴られている歌詞は、本人の意図する解釈を超え、スタンダードナンバーへと成長しました。
「夢をあきらめないで」は、中学校の音楽教科書に採用されたり、2005年の映画「逆境ナイン」の主題歌に起用されたり、多くの歌手にカバーされるなど、リリースから現在に至るまで、時代を超えた名曲となっています。
1995年に所属レーベルをeast west japanに移籍、2003年にBMG JAPANへ移籍します。
その歌声もさることながら、OLが多い同世代の感性を表現した歌詞や曲が、若い女性を中心に支持を集め、90年代初頭には「OLの教祖」と称されたこともあったそうです。
2002年に、ベストアルバム「DO MY BEST」を発表後、宮城県仙台市からコンサート活動を再開します。
コンサート最終日の渋谷公会堂では、当日1日限りで「あみん」が再結成されました。
2005年、NHK「夢・音楽館」で、あこがれだったさだまさしさんと初共演します。
ソロ時代は、一切音楽番組の出演を断っていましたが、さだまさしさんとの共演ということで、出演したのだそうです。
この共演が縁となり、2006年には、さだまさしさんとのコラボレーションによるシングル「銀色の少女」が発表されました。
2011年、所属レーベルをヤマハミュージックコミュニケーションズへ移籍。
2015年、ソロデビュー30周年を迎えます。
2016年、ソロデビュー30周年を記念して、「DO MY BEST」(2002年発売)以来となるオールタイム・ベストアルバム「DO MY BESTⅡ」を発売します。
同年4月、「LOVEあいちサポーターズ あいち音楽大使」に就任します。
2019年に、愛知県森林公園をメイン会場に行われる、第70回全国植樹祭のテーマソングを手掛けることになります。
あみん
「あみん」の岡村孝子さんと加藤晴子さんは、大学入学直後、岡村さんが加藤さんに科目の履修届の書き方を聞いたのが出会いでした。
やがて二人とも音楽好きだったことがわかり急接近します。
岡村さんが自作の曲を聞かせたところ、加藤さんの心に響き、ポプコンに挑戦しました。
1年目、後に2枚めのシングルとなった「琥珀色の思い出」を歌いますが、本大会には出場できませんでした。
大学の裏山や岡村さんの自宅で練習し、2年目は「待つわ」を歌いグランプリを獲得、デビューが決まります。
「あみん」という名前は、さだまさしさんの「シナモンとパンプキンパイ」という曲の歌詞に出てくる喫茶店「安眠」からとったものです。
岡村さんは、さだまさしさんのヒット曲「雨やどり」を聴いて、歌の世界に興味を持ったそうです。
あみんは一大ブームを巻き起こしましたが、紅白出場から1年後には解散します。
シングル4枚とオリジナルアルバム2枚をリリースしたのちの活動休止でした。
大学3年生となった加藤さんが、就職活動を前に、辞めたいと言ったためでした。加藤さんには、”芸能界は私のいる場所ではない”という思いがあったのだそうです。
岡村さんは、加藤さんの考えを受け入れ、あみんを解散します。
岡村さんは後に、「私が半ば強引に誘ってデビューした。ハコ(加藤さん)の気持ちを尊重したかった。別の人と組んでとレコード会社の人に言われたけど、ハコ以外の人とのあみんは考えられなかった」と振り返っています。
加藤晴子さんは、解散後は、就職・結婚・育児を経験していきますが、二人の交流は続いていました。
加藤さんは、子供には過去を話さず普通の生活を送っていましたが、岡村さんからコーラスのオファーが来たことや、子供の学校の校長による”子育てに必要なことは、自分の生き様を見せること”という言葉に感銘をうけたことで、コーラスの参加を決意。このことが、あみんの活動再開につながります
2007年、シングル「ひまわり/待つわ’07」をリリースし、24年ぶりにあみんの活動を再開します。
同年には、第58回NHK紅白歌合戦にも出場。
視聴率も好記録を達成します。
2008年以降もあみんとして活動を続けています。
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