広告

中村獅童さんの母親、小川陽子さんについてです。

小川陽子さんは、中村獅童さんの役者人生になくてはならない存在でした。

中村獅童さんの母親

ogawayoko

中村獅童さんの母親は小川陽子さんといいます。

中村獅童さんの歌舞伎役者としてのキャリアは、母親の存在が非常に大きな役割を果たしました。

中村獅童さんは叔父の萬屋錦之介さんの演技に憧れて、幼い頃から歌舞伎役者を目指していました。

しかし、父親が途中で先輩に楯突いて歌舞伎を辞めてしまったという、歌舞伎の世界ではあってはならない汚点を残したため、名門に生まれながらも歌舞伎界に後ろ盾がなく、役も端役ばかりで付き人もなく、身の回りのことは全て自分でこなさなければならないという位置からのスタートでした。

嫌気が差した中村獅童さんは、途中で歌舞伎を放り投げて、ロック音楽に手を染めますが、やはり歌舞伎への憧れは断ちがたく、20歳を迎えて将来を考えたときに、やはり自分には歌舞伎しかないと、復帰を決意。

復帰後も端役ばかりしか回ってこない不遇の時代が続きましたが、どんなときも一貫して中村獅童さんのことを考えて、尽くしてきたのが母親の小川陽子さんだったのです。

付き人のいない中村獅童さんの楽屋に入れる鏡台などの道具運びを手伝ったり、歌舞伎から離れるときも、ロック音楽に没頭していた時にも、歌舞伎に復帰するときも、いつでも母親・小川陽子さんは中村獅童さんを応援し、一番の味方であり続けました。

資金繰りに苦しいときも、多忙の合間を縫って、自宅にブティックを開いて、着物を刺繍したり、裁縫教室を開いたりなどして、お金の工面に奔走していたそうです。

広告
母親との別れ

そんな母親・小川陽子さんの懸命のバックアップもあって、やがて中村獅童さんは、あの中村勘三郎さんにも認められ、引き立ててもらえるようになり、歌舞伎の世界でも重要な役どころを演じさせてもらえるようになります。

歌舞伎以外でもドラマや映画でも地道に活動を続け、映画俳優としても認められるようになっていきます。

名門に生まれながら、後ろ盾のない叩き上げ、という非常に珍しい経歴の中村獅童さんですが、一人の力で成し遂げたことではなく、とりわけ母親・小川陽子さんの存在が大きかったのですね。

しかし、そうやって中村獅童さんを支え続けてきた小川陽子さんは2013年12月17日、心不全のために73歳で急逝します。

浴槽に浸かったまま息を引き取ったのだそうです。

葬儀後の中村獅童さんの言葉です。

「おふくろがつくった、小川陽子がつくった最高傑作だったと言われるような役者になれるよう頑張ります」

「自分は弱い人間です。思っている以上にお母さん子だったみたいで、おふくろがいないと何もできないんだなということが、今ごろになって分かりました」

中村獅童さんにとって、小川陽子さんの存在がいかに大きかったがよく分かる言葉ですよね。

でも、現在の中村獅童さんは、その言葉に恥じないほどの立派な俳優になっていると思うし、今後も進歩し続けるのだろうと思います。

中村獅童さんの結婚と再婚、元妻・竹内結子さんと現在の妻・足立沙織については次のページで!