草刈正雄さんと言えば、そのルックスで若い頃から超人気モデルとして活躍なさってきましたが、近年は『真田丸』など俳優としても非常に評価が高いですよね。

その草刈正雄さんの若い頃はどれほどカッコよかったのでしょうか?また、ハーフとかカツラとか言われていますが、その真相は?

草刈正雄さんの年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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草刈正雄さんのプロフィール

名前:草刈正雄(くさかり・まさお)
出身地:福岡県
生年月日:1952年9月5日
年齢:66歳(執筆時)
身長:185センチ
血液型:O型
学歴:東京都立青山高等学校定時制卒業
所属:バービィオフィス

草刈正雄さんは1952年福岡県出身。父親はアメリカ人、母親は日本人の日米ハーフとして生まれました。

父親はアメリカ軍兵士で、母親が草刈正雄さんを身ごもっている間に、朝鮮戦争で戦死。

母親が父親の写真を全部処分してしまったため、草刈正雄さんは父親の顔を知らないのだそうです。

幼い頃はとてもやんちゃな子供だったらしく、あだ名はバービーで、母親はよく近所の人に「おたくのバービーちゃん、つないどいて」と言われていたのだとか。

なぜバービーなのか不明ですが、幼少の頃はあのバービー人形(62年から日本でも発売)に似ていたのでしょうか。いずれにしてもその日本人離れしたルックスに由来する愛称なのでしょうね。

さらに、バットを持った母親に追いかけ回されるということもあったのだそうです。よほどやんちゃが過ぎたのでしょうかね。

その一方で、草刈正雄さんはとても母親想いの子供で自立心も強く、小中学生の間、母一人子一人の貧しい家計を助けるために新聞配達と牛乳配達のアルバイトをしながら通学していたといいます。

そして、中学卒業後も、昼は本のセールスや文具店の配達員、深夜にスナックの皿洗いをしながら福岡県立小倉西高等学校の定時制に通います。

そんな超多忙な日々の中、軟式野球部にも所属し、在学中にピッチャーとして全国大会に出場したこともあったそうです。

そんな草刈正雄さんの転機となったのは、高校2年生のとき。バイト先のスナックのマスターから、

「正雄は見てくれがいいから、モデルになったほうが稼げるかもしれないよ」

と、東京のモデル事務所を紹介され、17歳で上京。

事務所の用意してくれたアパートで暮らしはじめ、東京都立青山高等学校定時制に転校、同校を卒業。また上京から2年後に母親を東京に呼びます。

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1970年に資生堂の専属モデルとなり、そのルックスと語り口により、デビュー当時から人気に火がつきます。

若い頃の草刈正雄さんと言えば、こちらの資生堂ブラバスのCMの印象が強い人も多いのではないでしょうか。ものすごくカッコいいですね。

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その後、俳優養成所「野中塾」で演技を学び、俳優に転向。

1974年に東宝専属となり、映画『卑弥呼』でデビューし、同年映画『沖田総司』にも出演。

(『沖田総司』より)

翌75年にエランドール賞・新人賞を受賞。

76年にNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』で大河ドラマ初出演。

以後も、『華麗なる刑事』『プロハンター』などの正統派二枚目に限らず、『十字路』などのコミカルなキャラクター『古畑任三郎』などの悪役、『真田太平記』『真田丸』などの戦国時代の名将ほか、様々な役柄を演じるようになります。

(『古畑任三郎』より)

近年では、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』での真田昌幸役により人気が再燃。

(『真田丸』より)

翌17年には初の写真集である『草刈正雄ファーストフォトブック』が発売されるなど、現在に至るまで、映画やドラマ、舞台やバラエティ番組、CMなど、俳優として、タレントとして、第一線で幅広く活躍しています。

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