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結婚・夫

中学校の教師時代だった25歳のときに、教師仲間の男性と結婚します。

結婚後、1男1女をもうけます。

30歳のころに、舅が他界し、その影響で体調を崩した姑を、松山市内にある夫の実家で介護する必要に迫られたため、やむなく教師の仕事を辞めることになります。

退職の際に、当時の教え子には、「これから俳人になる」と約束したといいます。

俳人として活動をはじめてから10年後、40歳のときに、一人暮らしだった実母が脳腫瘍を発症します。

脳腫瘍の後遺症が残る実母を引き取りますが、姑と実母の相性が悪く、不安定な家庭環境に、夫もうつ状態となり、長女も不登校になってしまいます。

ひとまず、お互いの親をそれぞれで面倒をみることになりますが、夫から、「家族から解放されたい」と言われ、43歳の時、離婚に踏み切ります。

俳人としての活動だけで生計を立てることがままならない状況で、アパートに子供二人を引き取り、母親と4人の生活が始まりました。

ちなみに、俳号の苗字に用いている「夏井」とは、離婚した夫の姓でもあります。

離婚後は、「(俳句と関連のない案件や、俳句の広報につながらない案件を除いて)依頼された仕事はすべて引き受ける」というスタンスで、俳人としての活動に没頭します。

「俳人となる」という前述の約束を守るべく、あえて教職へは復帰せず、「次の仕事につなげたい」との一心で話術を磨きます。

夏井いつきさんの現在の夫は、加根光夫さんです。

夏井さんより8歳年上で、かつて博報堂の関西支社に勤務していました。

CMプロデューサーとして、「マロニーちゃん」などを手掛けていたそうです。

二人の馴れ初め
二人の出会いは、2003年、夏井さんが46歳のときでした。

加根さんが、インターネット上で配信する番組への出演を夏井さんに依頼します。

出演自体は諸般の事情で実現しませんでしたが、加根さんが以前から趣味で俳句を詠んできたこともあり、夏井さんとの交際がはじまったのだそうです。

その後は、加根さんが、関西支社のある大阪から松山を訪れるたびに、夏井さんの自宅で実子などの面倒を見ていたそうです。

夏井さん自身は、生活苦などを理由に再婚を渋っていましたが、2006年、49歳のとき、「(自分は50代の後半で)歳を取っているけど、結婚しましょう。」という加根さんからプロポーズされたことをきっかけに、再婚します。

加根さんは、後に博報堂を定年退職して、松山市内で夏井さんとの同居を始めます。

現在は、フリーランスで、映像プロデューサーとしての活動を継続しています。

加根さんは、夏井さんについて、「こんなに能力がある人は見たことがない」と才能を絶賛し、「自分が付き人だったり、役に立つことの方が俳句のためになるんじゃないかな。僕ができることをして、助けたい」との思いで、定年退職後は、夏井さんの仕事先にマネージャーとして同行するなど、公私にわたって夏井さんを支えています。

2014年には、株式会社夏井&カンパニーを設立し、代表取締役へ就任します。

夏井いつきさんは、もともとは、松山で俳句の会社を作って、若い人たちの将来を担って働いていましたが、それを2014年8月に譲って、夫・加根光夫さんを社長にして、”人生を楽しみながら終えるための夫婦二人だけの「終活会社」を作った”そうなのですが、「プレバト!!」が始まって、ゆっくりするはずが、忙しくなって、夫婦二人で東京都と松山を往復する生活になったのだそうです。

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子供

夏井いつきさんは、25歳のとき、教師仲間の男性と結婚し、1男1女をもうけます。

現在は、それぞれ独立し、家庭を築かれているそうです。

御幸ハウスとは?
夏井いつきさんは、句会などの活動を通じて知り合った縁から、家庭にトラブルを抱える複数の児童を、保護者の了承を得たうえで、「御幸(みゆき)ハウス」と称して自宅に無償で住まわせていたことがあります。

御幸ハウスでは、句会や俳句誌の編集会議、その後の宴会などが頻繁に行われ、さまざまな「変わった」大人たちも出入りしていた場所で、子どもたちは多くのことを吸収し、巣立っていき、やがて御幸ハウスは解散します。

「御幸ハウス」に住んでいた女児の1人は、後に夏井いつきさんの実の息子と結婚しています。

夏井いつきさんは、孫が4人いるそうです。

男の子3人、女の子1人だそうです。

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