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加藤登紀子さんの夫は藤本敏夫さん

加藤登紀子さんは1972年に、同い年の学生運動指導者・藤本敏夫さんと結婚し、3人の娘を出産しています。

藤本敏夫さんは1944年1月23日、兵庫県生まれ。

同志社に入学後、学生運動に参加するようになり、65年に京都府学連書記長に就任。

67年に羽田闘争に参加。

68年に国際反戦デー防衛庁抗議行動に参加し、逮捕。

72年4月に防衛庁襲撃事件などで実刑判決を受け、中野刑務所に収監され、この時期に加藤登紀子さんと獄中結婚します。

74年に出所。以後、農業の理想を追い求め、有機農業の実践・普及に関わるようになります。

81年に千葉県鴨川市に移住し、「鴨川自然王国」を設立。

92年に環境政党「希望」を結党し参議院議員選挙に立候補するも落選。

99年に農林水産省の諮問委員に就任し、持続環境型農業の普及について積極的に提言。

02年に肝臓がんのため、58歳の若さで亡くなります。

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加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの馴れ初めは?

加藤登紀子さんと藤本敏夫さんの馴れ初めは、2人の共通点である学生運動が接点となったみたいですね。

1968年の東大紛争のとき、東京大学の卒業式ボイコット闘争が行われていました。

加藤登紀子さんは62年に入学しましたが、歌手デビューなどで多忙となり、単位を揃えるのに6年かかり、ちょうどその年に卒業予定でした。

女性週刊誌から「振り袖姿で来て欲しい」と依頼されていたものの、それを無視してジーパンで式に参加。

結局そのジーパン姿が週刊誌に掲載されますが、その姿に興味を覚えた藤本敏夫さん(当時学生運動を主導していた)に、「学生の集まりで歌ってほしい」と依頼されます。

自分の歌を政治利用されることを嫌った加藤登紀子さんはそれを断りましたが、この出会いをきっかけに2人は交際を開始。

ところが、72年4月に藤本敏夫さんが実刑判決を受け、収監されます。

藤本敏夫さんが収監される前に、加藤登紀子さんの方から逆プロポーズしたものの、何年も待たせてしまうことになるからと、断られたのだとか。

しかし、藤本敏夫さんの収監後に加藤登紀子さんの妊娠が判明し、72年に獄中結婚することになりました。

加藤登紀子さんは、この交際を周囲から猛反対されたそうですが、当時の事務所社長の石井好子さんと母親だけは賛成してくれて、それに後押しされて結婚を決意したといいます。

加藤登紀子さんは3人の娘を抱えながら超多忙な芸能活動をこなすことになりますが、これは母親の育児への協力なくしてはあり得なかったことだと振り返っています。

また、結婚当時、加藤登紀子さんはレコード大賞歌唱賞受賞直後ということもあり、仕事がたくさん入っていたそうですが、その尻拭いは石井好子さんがすべて引き受けてくれたのだとか。

素晴らしい人達に囲まれていたのですね。きっと加藤登紀子さんもそうだからなのでしょうね。

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