カルーセル麻紀さんと言えば、ニューハーフ/オネエ系タレントのはしりとして知られ、マツコ・デラックスさんやはるな愛さんなど、同業の後輩たちから絶大な尊敬を集めるレジェンド的存在として知られています。

カルーセル麻紀さんは、その昔若い頃の壮絶な手術体験や華麗な男性遍歴、ウド鈴木さん、美輪明宏さん、梅宮辰夫さんとのことや、最近の病気などが話題のようですね。

そのカルーセル麻紀さんについて、年齢や身長、高校、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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カルーセル麻紀さんのプロフィール

名前:カルーセル麻紀(カルーセル まき)
出生名:平原徹男(ひらはら てつお)
本名:平原麻紀(ひらはら まき)
出身地:北海道釧路市
生年月日:1942年11月26日
年齢:75歳(執筆時)
身長:157cm
スリーサイズ:86-60-88(2004年時点)
血液型:A型
学歴:釧路北中学校卒業、北海道釧路北陽高等学校中退
職業:タレント
所属事務所:オフィスカルーゼル

カルーセル麻紀さんは1942年、北海道釧路市に、「平原徹男」の出生名で男の子として誕生しました。

太平洋戦争中だったこともあり、英米などの敵国と「徹底的に戦う男」となるように、また「男に徹する男」になるようにとの願いから、「徹男」と命名されたのだとか。

その一方で、カルーセル麻紀さんご自身は、物心付いたときから趣味や嗜好に女性的な傾向があったといいます。

そして、高校中退後、家出して札幌市のゲイバーで働くようになり、同店に勤務していた19歳のときに去勢手術を受けます。

なお、そのときは去勢のみで、「性転換手術」はそれから10年以上経った1973年にモロッコで受けたとのことです。

その後、青森県のショーパブ勤務を経て、大阪の「カルーゼル」というお店で働くようになります。

現在の芸名「カルーセル麻紀」は、その店舗名、そして当時の源氏名「麻紀」からつけられたみたいですね。

1968年、25歳のときシングル『愛して横浜』でコロムビアより歌手デビューし、芸能界入り。

以後、数多くのシングルをリリース。

どれも妖艶な雰囲気で素敵ですね。人気が出たのも分かる気がします。お店でも絶大な人気を誇り、芸能界でも勝新太郎さんなど数多くの大物ファンがついたそうですよ。

また、歌手デビューした68年には、ドラマ『女殺し屋 花笠お竜』でレギュラー出演を果たし、バラエティ番組『11PM』でも体験リポーターとしてレギュラーで活躍します。

以後も映画『コント55号 宇宙大冒険』(69年)、『不良番長 暴走バギー団』(70年)、『影狩り ほえろ大砲』(71年)、ドラマ『特別機動捜査隊 』(69年)『プレイガール』(70、72年)『丹下左膳』(70年)など、数多くのドラマ、映画に出演。

近年も、映画『自虐の詩』(07年)、『ピューと吹く!ジャガー』(08年)、『劇場版 SPEC~天~』(12年)、ドラマ『SPEC~翔~』(10年)などの話題作に多く出演するほか、2014年からはTOKYO MXのバラエティ番組『バラいろダンディ』にレギュラー出演するなど、女優として、タレントとして第一線で活躍を続けています。

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カルーセル麻紀さんが戸籍上も女性へ

カルーセル麻紀さんは、1973年に性転換手術を受けますが、それから30年以上にわたって戸籍上は「男性」であり続けることを余儀なくされました。

日本の法律では長い間、戸籍上の性別の変更は認められていなかったみたいですね。

しかし、2004年10月に性同一性障害特例法が施行されたことに伴い、カルーセル麻紀さんは性別の変更を申し立てます。

申し立ては受理され、戸籍上も女性となり、戸籍名も出生名の「平原徹男」から「平原麻紀」と改名されます。

とは言え、カルーセル麻紀さんご自身は、「怒るとオッサンになる」とか、「男に徹する男になれ、という親の意に反して女に徹してしまった」とか、今でも「元男性」であることをよくネタにしています。

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