奥田瑛二さんと言えば、俳優・映画監督・画家とその多才で知られますが、嫁の安藤和津さんの家系図がスゴいことが話題です。

また、二人の娘は安藤桃子さんと安藤サクラさんも著名人で、非常に華麗な一族のようですね。

その奥田瑛二さんの家族について、若い頃や年齢、身長、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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奥田瑛二さんのプロフィール

名前:奥田瑛二(おくだ えいじ)
本名:安藤豊明(あんどう とよあき)
出身地:愛知県春日井市
生年月日:1950年3月18日
年齢:68歳(執筆時)
身長:175cm
血液型:AB型
学歴:東邦高等学校卒業、明治学院大学法学部中退
職業:俳優、映画監督、画家
所属事務所:ゼロ・ピクチュアズ

奥田瑛二さんは1950年愛知県春日井市生まれ。父親は春日井市議会議員を務めていました。

小学5年生のときに大友柳太朗さんの『丹下左膳』を観て役者を志すようになります。

ところが、高校3年生のとき、役者を目指して上京したいと父親に打ち明けるも、猛反対を喰らいます。

そこで、「政治家になる勉強をするため」と言ったら納得してもらうことができ、高校卒業後は明治学院大学法学部に進学。

父親の伝手で丹羽兵助・衆議院議員の私設秘書として住み込みで学生生活を送ることになり、そのかたわら演劇部に所属。

21歳のときに議員の家を飛び出し、大学も中退。

そして、いくつかの劇団を当たりますが、ご縁に恵まれず、高校の先輩だった俳優の天知茂さんの付き人を務めるようになりますが、こちらも2年ほどで飛び出してしまいます。

その後も俳優になる夢は持ち続けながら、夜の仕事で食いつないでいきます。

途中、客の勧めでモデルになりますが、俳優への夢は断ちがたく、マネージャーに頼み込んで1976年の特撮ドラマ『円盤戦争バンキッド』の主人公・天馬昇/ペガサス役でデビューを果たします。

こちらが『円盤戦争バンキッド』での奥田瑛二さんです。モデルになることを客に勧められるだけあって、さすがイケメンですね。

しかし、その後は役に恵まれず、アルバイトを転々として食いつなぎ、一時期はホームレス同然の生活を送っていたといいます。

この「どん底」の時代に、今の妻である安藤和津さんと出会い、結婚しています(後述)。

結婚後もなかなか芽が出ませんでしたが、あるとき、事務所でたまたま手にした映画の台本を読み、自分を主役にするように監督に手紙で訴えます。

それが、森下愛子さんとW主演した日活の『もっとしなやかに、もっとしたたかに』でした。

森下愛子さんについて

この作品で実力を認められた奥田瑛二さんは、続いて映画『もう頬づえはつかない』で桃井かおりさんの相手役として出演。

以後、ドラマ・映画でひっきりなしにオファーが舞い込むようになります。

そして、ドラマ『金曜日の妻たちへ』『男女7人夏物語』『金曜日には花を買って』などの人気作に相次いで出演し、多くの女性ファンを獲得。

(『男女7人夏物語』より)

ちなみに、『男女7人夏物語』には、明石家さんまさんや片岡鶴太郎さんも出演するとのことで、「お笑いの人とは一緒に仕事できない」と、最初はオファーを断っていたのだそうです。

奥田瑛二さんは、もともとドラマよりも映画に重きを置く本格志向の俳優さんだったようで、そのプライドの現れなのでしょうね。

しかし、当時すでに大女優として名声を確立していた大竹しのぶさんも出演するということで、引き受けることにしたのだとか。

1986年に映画『海と毒薬』で熊井啓監督と出会い、同作品で映画単独初主演。以後も

『千利休 本覺坊遺文』(89年)
『式部物語』(90年)
『ひかりごけ』(92年)

と立て続けに熊井作品に出演。これらの作品を通じて海外でも知名度を上げます。

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