國村隼さんと言えば、キル・ビルやブラックレイン、コクソンはじめ多くの海外映画に出演する国際派俳優としても知られていますが、その若い頃や事務所、有村架純さんとのこと、韓国とのことなどが関心を持たれているようです。

その國村隼さんについて、年齢や出身地、高校大学、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

國村隼さんのプロフィール

名前:國村隼(くにむら じゅん)
本名:米村喜洋
出生地:熊本県
出身地:大阪府大阪市
生年月日:1955年11月16日
年齢:63歳(執筆時)
身長:170cm
血液型:A型
学歴:大阪府立工業高等専門学校中退
職業:俳優
所属事務所:後述

國村隼さんは1955年熊本県生まれ。小学2年生以降は大阪市に移住します。

演じることには早くから興味があったようで、小学2年生ごろから演劇部に所属。

さらに小学生高学年の頃から自動車にも興味を持ち、車種のみならず、エンジンの種類や排気量、さらに設計図などにも強い関心を持つようになります。

それが高じて中学卒業後は大阪府立工業高等専門学校へ進学し、エンジニアを目指すようになります。

しかし、自身が理系分野に適性がないことを悟り、高専4年次のときに中退。

暇を持て余していたところに、小学校時代の同級生から劇団のオーディションに誘われ、大阪放送劇団の研究生になります。

アルバイトしながら演技の勉強を続け、1981年の井筒和幸監督『ガキ帝国』でスクリーンデビューを果たします。

以後、数々のドラマや映画に出演するようになりますが、なかなか大きな仕事に恵まれませんでした。

やがて30代を迎えた國村隼さんは、このまま役者を続けるべきか、悩むようになったといいます。

そこに舞い込んできたのが、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)のオーディションでした。

「落ちたら役者を辞める」という背水の陣で臨んだオーディションに見事合格。松田優作さん演じるヤクザの子分役を勝ち取ります。

(『ブラック・レイン』より)

現場では、リドリー・スコット監督や松田優作さんから俳優としての表現について多くを学び、映画の楽しさに目覚め、ずっと役者をやっていこうと決心したといいます。

以後、何本かの香港映画、クエンティン・タランティーノ監督『キル・ビル』、韓国映画『哭声/コクソン』など、数多くの海外映画に出演し、国際派俳優としての名声を確立。

(『コクソン』より)

国内映画でも阪本順治監督や崔洋一監督の作品をはじめ、数多くの作品に出演。

1997年、河瀨直美監督『萌の朱雀』で映画初主演。同作品はカンヌ映画祭で河瀬監督が日本人初のカメラ・ドールを受賞しています。

映画を中心に活躍する一方で、テレビドラマにも数多く出演。

2006年のNHK連続テレビ小説『芋たこなんきん』ではヒロインの夫役を演じ、代表作の一つとなります。

(『芋たこなんきん』より)

私生活では釣り、アーチェリー、サッカー、バイク、車など多彩な趣味を持っています。

中でも渓流釣りを得意とし、フライフィッシング用のフライ(毛針)を自作するほどの入れ込みようで、過去にNHKBSの『にっぽん釣りの旅』に2回出演しています。

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