草笛光子さんの母親
草笛光子さんにとって、母親の存在はとても大きなものだったようです。
母親からは、女学校を出てすぐの17歳のときに草笛光子さんを産んだと聞かされていたみたいですね。
戦時中の疎開先では、見ず知らずの人の家に寝泊まりし、母親は自分の着物を持って外に出ていき、お米や野菜に換えて帰ってくるという生活をしていたといいます。
父親は、当初三菱重工業の造船所という立派な勤め先で働いていましたが、終戦に伴い失職し、その後様々な仕事を始めたものの、どれもうまくいかなかったようです。
そのため、母親が家計を支えるために、横浜・桜木町に洋裁店を開き、さらにバーを開店。バーは繁盛し、松竹大船撮影所が近くにあったこともあり、監督など映画関係者や作家が多く訪れたのだとか。
草笛光子さんが早くに自分の進路を決めて、ミュージカルの世界で生きていこうと決意したのも、そんな苦労続きの働き者の母親を楽させたい、という思いがあったのかもしれませんね。
母親は本当は草笛光子さんの芸能界入りには反対で、女医さんになってほしかったそうです。
しかし、芸能界で生きていく決意をした娘を全力で応援し、のちにマネージャーとして尽力。草笛光子さんがテレビ出演する際の衣装も手作りしていたといいます。
草笛光子さんの母親は、芸能界における娘の手となり足となり、多年にわたり陰ながら支え続け、92歳の天寿をまっとうします。
その亡くなる少し前に、草笛光子さんに対して「本当は16歳であなたを産んだ」と告白したのだとか。
17歳でも凄いのですが、16歳だったのですね。なぜ亡くなる直前になって話す気になったのでしょうか。いろいろ想像が膨らんでしまうところかもしれませんね。
以上、草笛光子さんについてでした!