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市毛良枝さんと登山

市毛良枝さんは、1993年にはキリマンジャロ登頂を成功させるなど、本格派の登山家としても知られています。

といっても、もともとは山には全く興味がなく、始めたのは40歳のときだったのだそうです。

父親が亡くなった後、主治医に挨拶に行った際に、山好きの主治医から登山に誘われたのがきっかけだったのだとか。

それで連れて行かれたのが飛騨山脈(北アルプス)の燕(つばくろ)岳だったのだそうです。

燕岳は「表銀座」と呼ばれる、比較的初心者向けのコースが整備されているそうですが、標高は2763メートルもあります。

それまで運動経験のない40歳の女性が登るのは楽ではなかったと思われますが、市毛良枝さんにとっては非常に楽しい経験だったようで、以後どんどん山にのめり込むようになっていったそうです。

以後、20年以上にわたり登山を続け、八ヶ岳、槍ヶ岳、聖岳、キリマンジャロ、ヒマラヤ・ヤラピークなど、数々の国内外の高峰を経験しています。

また、その経験に基づき、『山なんて嫌いだった』(山と渓谷社)『市毛良枝の里に発見伝 - 関東近郊の里山21コースを徹底ガイド』(講談社)などの書籍も出版。

登山や山に関するテレビ番組や雑誌などにも多く登場し、各地で講演も行うなど、登山家としての活動も本格的に継続しています。

また、現在は特定非営利活動法人日本トレッキング協会理事を務めるなど、自然環境保全活動にも精力的に取り組んでいます。

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市毛良枝さんと介護

近年の市毛良枝さんは、母親の介護にずっと携わっていることでも知られています。

市毛良枝さんの母親は2度の脳梗塞や骨折などを経て、一時期は寝たきり状態になったのだそうです。

要介護状態になったのは2002、3年ごろだったようですが、「アメリカ旅行に行く」という目標を掲げ、母娘で懸命にリハビリに取り組むことになります。

当初は寝たきり同然の状態だったようですが、努力のかいあって自立歩行できるまでに回復したのだそうです。

そして、ついに母娘でのアメリカ旅行が実現。母親も車椅子ながらも楽しんだようで、帰国後も「また行きたい」と、ますますリハビリに熱を入れるようになったといいます。

素晴らしい好循環ですね。なお、市毛良枝さんの母親は2015年で100歳を迎えたとのことです。現在もご健在のようですね。

とはいえ、市毛良枝さんにとっては、やはり多忙な仕事の合間を縫っての介護生活は決して楽なものではなく、介護のために近年は好きだった登山も控えているといいます。

ただ、その代わりに社交ダンスを始めたそうで、最近はそちらの方にもかなりのめり込んでいるのだとか。

最初は本当につらくて、うつ状態にまで陥ったこともあったようですが、どんな状況でも楽しむことを忘れない心を持つというのは、長い介護生活の中で身につけた知恵なのかもしれませんね。

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