テルマエ・ロマエ、結婚できない男など、数々のドラマ・映画で知られる俳優・阿部寛さん。最近はホームページがダサいとか、レトロで文化財級とか言われ話題のようですね。
高身長で彫りの深いイケメンですがハーフなのか?若い頃は?結婚相手の妻は?いつ結婚?子供の幼稚園や学校は?
阿部寛さんについて、年齢、身長体重、高校大学、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。
阿部寛さんのプロフィール
名前:阿部寛(あべ ひろし)
本名:同じ
出身地:神奈川県横浜市神奈川区
生年月日:1964年6月22日
年齢:53歳(執筆時)
身長:189cm
体重:75kg
血液型:A型
学歴:神奈川県立白山高等学校、中央大学理工学部電気電子情報通信工学科卒業
職業:俳優、モデル
所属事務所:茂田オフィス
阿部寛さんは1964年神奈川県横浜市生まれ。
3人兄弟の末っ子でしたが、父親も兄弟も身長は特に高くなく、高いのは阿部寛さんだけなのだそうです。
神奈川県立白山高等学校を卒業後、中央大学理工学部に進学。
大学在学中の1983年に、姉に勧められて、優勝賞品の車欲しさに「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」に応募し、優勝。
その後、ファッション雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』のカリスマモデルとして活躍します。
なお、『メンズノンノ』は女性ファッション誌『ノンノ』の男性版として、1986年5月9日に創刊されますが、阿部寛さんはその創刊号から43号まで、連続して表紙を飾っています。
2017年4月5日放送の『あの頃キミは若かった』にゲスト出演した谷原章介さん(ご本人も元メンズノンノ専属モデル)によると、
阿部寛さんがあまりにも素敵だったから、彼のために『メンズノンノ』が創刊された
のだそうです。
見る目の肥えたファッション雑誌業界の人たちにそこまでさせるなんて、デビュー当時からずば抜けた魅力を放っていたのでしょうね。
実際、当時の阿部寛さんはモデルとして人気絶頂で、1ヶ月に4000通ものファンレターが届いていたのだそうです。
なお、こぼれ話として、当時は同時にバブルの絶頂期でもあり、阿部寛さんはその頃に投資用マンションを購入したのだそうですが、バブル崩壊及び自身の人気低下により、数億円もの借金を背負うことになったようです(その後20年かけて完済)。
阿部寛さんの不遇時代~再ブレイク~現在
そんな超カリスマモデルだった阿部寛さんは、大学卒業後の1987年に南野陽子さん主演の映画『はいからさんが通る』で俳優デビューを果たします。
(『はいからさんが通る』より。南野陽子さんと)
主演の南野陽子さんと共演できるから、というのが出演を決めた理由だったのだそうです。
その後、俳優を主体に活動を展開しますが、当時は今とは異なり、モデル出身の俳優という例が少なく、阿部寛さんも絵に描いたような二枚目の役ばかりをあてがわれ、役に幅がなかったといいます。
さらに、身長が高すぎる(189cm)ことから、相手役の女性とのバランスが取れず、役を降ろされることも少なくなかったようです。
次第に俳優としての仕事が少なくなっていき、3年ほどパチンコで生計を立てるありさまだったといいます。
当時の阿部寛さんは、業界的には「消えた人」扱いされてしまっていたようで、『あの人は今!?』で取り上げられてしまったのだそうです。
そして、それを見た阿部寛さんは一念発起。
1992年の高倉健さん主演のNHKドラマ『チロルの挽歌』で、名前もない端役としての出演を希望するなど、ゼロから懸命に演技の勉強に打ち込むようになります。
1993年にはつかこうへいさん作の舞台『熱海殺人事件』で、バイセクシュアルの部長刑事を演じ、演技派俳優への転身のきっかけをつかみます。
(『熱海殺人事件』より)
そして、翌1994年の映画『しのいだれ』『凶銃ルガーP08』、95年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』などでの好演が評価され、以後脇役としての一定の地位を確立。
さらに仲間由紀恵さんとW主演した2000年のドラマ『TRICK』や、2006年の主演ドラマ『結婚できない男』などで、三枚目やクセのある役柄を自在に演じる演技力が開花し、再ブレイク。
(『結婚できない男』より)
以後、ドラマ『ドラゴン桜』『新参者』『下町ロケット』や映画『チーム・バチスタの栄光』『テルマエ・ロマエ』をはじめ、数多くの話題のドラマ、映画に主演を中心に出演。
(『テルマエ・ロマエ』より)
再ブレイク後の阿部寛さんは、現在に至るまで日本を代表する俳優の1人として、第一線で活躍を続けています。
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