川崎麻世さんといえばハーフみたいなイケメンで、ジャニーズのこと、カイヤさんとのこと、母親や父親、子供(息子)や若い頃のことなどが話題です。
その川崎麻世さんについて、身長や本名などwikiプロフィールとともに調べてみました。
川崎麻世さんのプロフィール
名前:川崎麻世(かわさき・まよ)
本名:同じ
出身地:大阪府枚方市
生年月日:1963年3月1日
身長:182cm
血液型:B型
学歴:堀越高等学校、東京工芸大学短期大学部画像技術科グラフィックデザインコース卒業
職業:俳優、歌手
所属事務所:プラチナムプロダクション
川崎麻世さんの経歴、若い頃~現在
川崎麻世さんは1963年京都府生まれ。父親は京都松竹の俳優・安住譲(あずみ・じょう)さんでした(後述)。
生後まもなく両親が離婚。母親に引き取られ、その実家のある大阪府枚方市で育ちます。
12歳だった1975年に出場した関西ローカルの番組の素人参加コーナー「パクパクコンテスト」に出演し、西城秀樹さんのモノマネでグランドチャンピオンに輝きます。
幼少の頃から人目を引く美形だった川崎麻世さんは、その姿を見たジャニー喜多川さんに見いだされ、翌1976年にスカウトされ、上京。
1977年、14歳のときにシングル「ラブ・ショック」で歌手デビューを果たします。
当時の川崎麻世さんは、3年連続でブロマイドの売上1位を記録し、多くの親衛隊(ファンクラブ)が結成されるなど、絶大な人気を誇ります。
(16歳の頃の川崎麻世さん)
1989年にジャニーズ事務所を退所(理由は後述)。
以後も数多くのドラマ、映画、舞台に出演。俳優、歌手として活躍を続けています。
川崎麻世さんは元ジャニーズ。退所理由はカイヤさんの妊娠
川崎麻世さんは1976年にジャニーズ事務所に入所し、1989年に退所しています。その理由は、ジャニーズ在籍中より交際していたカイヤさんの妊娠・出産でした。
(カイヤさんと川崎麻世さん)
マスコミによるストレスからカイヤさんが離れて、より良い環境で出産できるように、彼女の母国であるアメリカに渡ることを決断したといいます。
当時の川崎麻世さんは、ジャニーズ事務所からは舞台俳優として大成することを期待されており、ニューヨークで本場のミュージカルを学ばせるために費用を負担したりなど、非常に期待されていたといいます。
そして、海外ミュージカル「スターライト・エクスプレス」を無事成功させ、ようやく蒔いた種が芽を出そうとしていた矢先での退所の決断でした。
ですので、深く悩み、非常に強い不安に押しつぶされそうになったそうです。そして、最終的には「仕事よりも新しい命」であると、その決断に至りました。
川崎麻世さんはその当時を振り返り、「これほどの男の決断をしたのは俺が26歳この時が初めてだったであろう」と述懐しています。
川崎麻世さんの現在
川崎麻世さんの現在についてですが、2021年7月には映画「ある家族」で初主演を果たしたことが話題になりました。
歌手としても18枚目のシングル「無条件」を2015年に、「This is My Love…俺の愛」を2017年にリリース。
私生活では、1990年に結婚したカイヤさんと2001年頃に別居。
2018年10月に川崎麻世さんを原告として離婚へ向けた裁判が始ますが、これに対してカイヤさん側が離婚及び川崎麻世さんのDVなどを主張し2000万円の慰謝料を求めて反訴。
2020年2月には判決が出て離婚が認められ、またカイヤさん側の慰謝料に関する反訴は棄却されました。
判決要旨によると、「互いの異性との交友関係について頻繁に喧嘩があったこと」、そして、別居後も2人が交流があったことについても「子供との交流のためや、自身の芸能活動の一環にすぎないもの」であって、カイヤさんへの未練ではないこと、などが認定され、離婚が認められたとのことです。
一方で、カイヤさん側の主張する川崎麻世さんのDVについては、「認められないか、仮に存在したとしても、被告(カイヤさん)による暴行も同程度あったとうかがわれる」とし、川崎麻世さんのみに責任があるとまでは言えない、としてこれを退けています。
この判決を不服としてカイヤさん側は控訴。現在(2022年1月時点)も判決が出たという報道はなされていないようなので、係争中と思われます。
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