子役時代から現在まで活躍し続けている松島トモ子さん。2020年は「ライオンの餌」というブログを立ち上げて話題になりました。昔,若い頃~今現在までの経歴や、ライオンとヒョウの事件について、結婚や子供は?
母,父,老老介護についてなど、気になったので調べてみました。

松島トモ子さんのプロフィール

名前:松島トモ子(まつしま ともこ)
本名:松島 奉子(ともこ)
出身地:旧満州国奉天・東京都目黒区育ち
生年月日:1945年7月10日
年齢:75歳(執筆時)
学歴:大東学園高等学校卒業
職業:女優・歌手・タレント

経歴

松島トモ子さんは、生後10ヶ月のとき、満州国からの引き揚げを体験。

母と二人で日本に引き揚げてきます。

本名の”奉子”は、生誕地の奉天に帰する。

3歳から、石井漠舞踏研究所に入門し、バレエを始めます。

石井漠(いしい ばく・1886年~1962年)は、日本の舞踏家・ダンサーです。

大正時代、欧州や米国に渡り、現代舞踏を研究、「モダンダンス」の先覚者となり、日本人にとっての新しい舞踏という境地を大きく切り拓きました。

1928年、自由が丘に石井漠舞踏研究所を開設。

1955年、紫綬褒章の第1号受賞者となります。

映画館の劇場ニュースで、石井漠門下の子どもたちが「小さな豆バレリーナ」として取り上げられたところ、そこに映っていた松島トモ子さんを阪東妻三郎がスカウトし、1949年に芸能界デビュー。

4歳のとき、東横映画「獅子の罠」に出演し、映画デビュー。

その後も、実写版「サザエさん」の磯野ワカメ役など、多くの映画に出演、80本の映画で主演を務め、名子役として活躍します。

童謡歌手としても活躍されています。

米山正夫門下となり、1953年、「村の駅長さん/風にゆれるレイの花」で歌手デビュー。

その後も、映画主題歌や挿入歌を吹き込んだことでも知られています。

少女雑誌「少女」では、表紙を10年間一人で務め、芸能雑誌「平凡」でも、グラビアモデルを務めました。

高校卒業後の1964年、17歳のとき、ミュージカルを勉強するため渡米。

ニューヨーク、ザ・マスターズ・ハイスクールに2年間留学。

卒業後、マーサ・グラハムに入門し、ダンススクールでの研修を経て帰国します。

1967年に帰国後は、海外リポート、ミュージカルを中心に、ラジオ・テレビのパーソナリティ・”石垣食品のミネラル麦茶のCM”・「ひょっこりひょうたん島」の声優など、幅広い分野で活躍されています。

1998年、車いすダンスを始め、同年、世界選手権で優勝します。

車いすダンスとは、社交ダンスを基本に、障碍者と健常者がペアになり、技術と美しさを競い合う競技です。

1998年に初めて日本で世界選手権が行われることになり、松島さんが司会を務めることになります。

そこで、車いすの青年から、ダンスパートナーとなり、世界選手権へ出場しませんか、と手紙を受け取ります。

そこから、猛烈な特訓を受け、世界選手権へ出場、見事、世界選手権・新人部門で優勝を果たします。

著書に、「母と娘の旅路」「ホームレスさんこんにちは」などがあります。

ライオン

松島トモ子さんは、”ライオンとヒョウに噛まれた”ことが大きなニュースとなりました。詳細を調べてみました。

1986年、日本テレビ「TIME21」のドキュメンタリーの撮影でケニアを訪れて、10日間で、ライオンとヒョウに立て続けに2度襲われて、帰国後にギプス姿で記者会見をして大きなニュースとなりました。

松島トモ子さんは、1986年1月28日、「野生のエルザ」の作者の夫・狩猟監視官であるジョージ・アダムソンさんと共に、ナイロビのコラ動物保護区で、餌付けされ人に慣れたばかりの7頭の雌のライオンの群れと接触。

子ライオンと戯れていたところ、その子の母親ライオンに襲われてしまいます。

「野生のエルザ」は、ノンフィクション作家・ジョイ・アダムソンさんによる、実在のライオンを記録した1960年刊行のノンフィクション作品です。

多くの国で翻訳されベストセラーとなったのち、映画化・テレビドラマ化されました。

松島トモ子さんは、動物が好きということ、英語が話せるということで、レポーターを務めることになりました。

ライオンに襲われ、3日間の入院後、仕事を再開し、再び別の保護区を訪れ、ロケに挑みます。

2月7日に、保護区で飼育されているヒョウを見に、施設に行きます。

そこで、柵を飛び越えてしまっていたヒョウに首を噛まれてしまいます。

ヒョウに首を噛みつかれたケガは、第四頚椎粉砕骨折で、あと一ミリ場所がずれていたら、死ぬか、全身麻痺という状態だったそうです。

幸いにも命は無事でしたが、日本では長い入院生活を送ることになったのだそうです。

復帰に時間がかかり、復帰後も、その話題は、松島さん自身の中ではタブーとなります。

笑って話せるようになったのは、事故から20年以上経ってからだったそうです。

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