乳がん・うつ
1988年、38歳のとき、乳がんを患います。
近所の奥さんと、乳がんの話で盛り上がったが、自分の胸にしこりがあった、触ると痛かった、と話しています。
医師に乳がんと診断され、夫の懇願もあり、左乳房の全摘とリンパ節切除の手術を受けます。
当時はがんを公表するケースも少なく、病気を隠して仕事をしようと思っていたそうです。
乳がんの治療中、入院中や外来の待合室では、音無さんと気付かれないように、マスクをしたり、うつむいたまま本を読むなどして、乳がんであるということを隠し続けたといいます。
1988年9月、慶応病院で10時間に及ぶ手術を受けます。
手術後は、病気を隠して新しいドラマに取り組みますが、手術の後があるので監督が用意した衣装が着られない、本読みでは、気持ちの動揺から声が出ない、ということがあり、結局ドラマは降板することになります。
音無さんは、「してはいけないことをしてしまった」「マスコミに病気がばれるのではないか」と、気持ちがどんどんふさぎ込んでいってしっまったのだそうです。
ドラマ降板以降は、家にこもりがちになり、毎日がやる気もなく、何もかも楽しくないという精神状態になってしまいます。
好きだった料理もできなくなり、子供の運動会にお弁当を作ってあげることができないなど、苦しい毎日を過ごします。
うつ状態となって数ヶ月たったとき、当時小学1年生だった長女から、「一緒に料理がしたい」と言われ、戸惑いながら、一緒に目玉焼きを作ったそうです。
そして、それがきっかけで、ご飯を炊いておにぎりを作ったり、子供と水鉄砲をして遊んだり、小さなことに挑戦して、”やればできるんだ”と、自信がついていったといいます。
家事を一つ一つこなしていくことで、うつ症状は少しづつ消えていき、元気を取り戻していったのだそうです。
夫の村井國男さんの存在も、とても大きかったそうです。
今でも、「頑張らなきゃ」というと、「頑張らなくていいから」「降参、と言う勇気を持ちなさい」と諭されるのだそうです。
うつ状態は、その時以来なっていないそうです。
女優と主婦業が忙しくても、趣味の編み物やダンス、料理などの教室に通って、楽しんでいると話しています。
歌声喫茶
音無美紀子さんは、東日本大震災の復興支援として、ワンデーカフェ「音無美紀子の歌声喫茶」を開催しています。
被災地の仮設住宅の集会所や広場などへ、歌声喫茶を出張開店し、住民の方々とコミュニケーションを深めたり、東京近郊で歌声喫茶を開催して、その入場料を支援金とするなど、復興支援の活動を続けています。
料理
コロナ禍の影響で、仕事がなくなってしまったそうなのですが、趣味である料理を、家族のためもあり、毎日作っていたそうです。
そうしたら、友人や夫の村井國夫さんから、You Tubeをやってみてはと提案され、お料理チャンネルを作ったのだそうです。
You Tubeチャンネルでは、娘の麻友美さんや夫・村井國夫さんも出演するなど、とても楽しそうです。
編集は、麻友美さんがしているそうです。
コロナ禍でも、You Tubeチャンネルを開設するなど、新しいチャレンジを続けている音無美紀子さん。
今後の活躍もとても楽しみです。
以上、音無美紀子さんについて、でした!