さかなクンさんの大発見。クニマスは絶滅していなかった!
以後も魚の研究や啓蒙活動で活躍。特に有名なのは、2010年のクニマスの再発見です。
クニマスはかつて秋田県の田沢湖に生息していましたが、水質の悪化により絶滅したと考えられていました。
しかし、山梨県の西湖で似た個体があることをさかなクンさんが発見。
きっかけは、京都大学教授・中坊徹次さんからのクニマスのイラスト執筆を依頼されたことでした。
クニマスは当時絶滅したと考えられていたため、さかなクンさんは近縁種であるヒメマスを全国から取り寄せ、参考にすることにしました。
すると、その中の西湖から届いた個体が非常にクニマスに似ていると気づき、中坊徹次さんに問い合わせます。
中坊徹次さんは遺伝子解析などを行い、その個体がクニマスであることを確認。
この発見はすぐにマスコミに公式発表され、大きなニュースとして報じられました。
1935年頃にクニマスの受精卵が田沢湖から西湖に送られ、当地で繁殖したという経緯があったことも後に判明しました。
ただ、その記憶がある人がいなかったようで、地元西湖の漁業関係者は「黒いヒメマス」くらいに認識しており、絶滅したはずのクニマスだとはゆめにも思っていなかったみたいですね。
天皇陛下からも直々に名前を挙げられながらその功績をねぎらわれ、2012年には「海洋立国推進功労者」として内閣総理大臣賞を受賞。
2015年には勤務する東京海洋大学から名誉博士号を授与。
大学での教育・研究のほか、全国各地の魚に関する広報大使、NPO法人・自然のめぐみ教室「海のめぐみ教室」室長など、多くの職を歴任。
また、テレビやラジオ番組にも多数出演し、魚類学者として、またタレントとして、文化人として第一線で活躍を続けています。
さかなクンさんの父親は囲碁棋士!
さかなクンさんの父親は囲碁棋士の宮沢吾朗九段です。
宮沢吾朗九段は1949年生まれで、6歳頃から囲碁を始め、1961年に日本棋院院生となり、66年に入段(プロ入り)。
以後、棋聖戦五段線優勝、新人王戦優勝など活躍し、特に80年代~90年代にかけて第一線で活躍。
タイトル(棋聖、本因坊、名人などの称号)には恵まれませんでしたが、「無冠の帝王」と呼ばれる実力者で、その独特の魅力的な棋風に心酔するアマチュアも多い、人気棋士として知られています。
著作もあり、その解説には、
「先生の常識は世の非常識。常識人でありたいのなら、この先生の碁に深入りしてはならない。」
と書かれているといいます。かなりユニークな打ち方をするのでしょうね。
独特の感性にして、専門分野で非常に優れた才能を発揮している点では、さかなクンさんは父親の血を受け継いだのかもしれませんね。
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