北国の春や夕焼け雲など数多くのヒット曲で知られる千昌夫さんの今現在について関心が集まっているようです。

美人妻のアマンダさん、ほくろ、借金額のことなどが取り沙汰されますが、古希祝いも話題になりましたね。

その千昌夫さんについて、妻や子供など家族、年齢や高校、経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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千昌夫さんのプロフィール

名前:千昌夫(せん まさお)
本名:阿部健太郎(あべ けんたろう)
出身地:岩手県陸前高田市
生年月日:1947年4月8日
年齢:71歳(執筆時)
身長:170cm
血液型:O型
学歴:水沢第一高等学校中退
職業:歌手、実業家
レーベル:徳間ジャパン
所属事務所:(有)ジュクネン

千昌夫さんの若い頃

千昌夫さんは1947年岩手県陸前高田市生まれ。実家は農家で、5人きょうだいの次男でした。

小学4年生のとき、父親を心筋梗塞でなくし、以後母親の女手一つで育てられます。

母親は家族を養うために農作業と出稼ぎで懸命に働きますが、家はとても貧しかったといいます。

それでも母親と中学を卒業してすぐに働き始めた兄の援助により高校に進学。

子供心に、そんな家族を早く楽にさせたいと思っていた千昌夫さんは、歌手として身を立てることを志し、高校2年生だった1965年に作曲家の遠藤実さんの門を叩きます。

最初は相手にされませんでしたが、連日自宅に押しかけてくる千昌夫さんの根性に遠藤実さんはついに根負けし、弟子入りを認めたといいます。

同年『君が好き』でデビューを果たし、『若い恋人たち』『君ひとり』と立て続けにシングルをリリースしますが、ヒットしませんでした。

ところが『君ひとり』のB面曲だった「星影のワルツ」が有線放送で話題になり、それを受けた所属レーベルのミノルフォン(現・徳間ジャパン)は、同曲をA面として再発売。

1968年リリースのシングル『星影のワルツ』は170万枚を超え、当時同レーベル史上最大のヒットを記録。

千昌夫さんは同曲により、同年末の紅白歌合戦に初出場を果たします。

以後、多くのヒット曲を量産。1977年リリースのシングル『北国の春』が79年に大ヒットし、ミリオンセラーを達成。同年末の日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞。

他にも、『望郷酒場』『夕焼け雲』『味噌汁の詩』『津軽平野』などのヒット曲を次々と生み出し、歌手としての全盛期を迎えます。

なお、この「北国の春」は千昌夫さんの代表曲とも言える楽曲で、1968年から2011年にかけて計16回出場した紅白歌合戦のうち、実に6回で同曲を披露しています。

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千昌夫さんの不動産投資。借金額がスゴい

1968年の『星影のワルツ』で大ブレイクを果たしますが、幼少期の極貧生活からお金の大切さを身に沁みて感じていた千昌夫さんは、不動産投資に乗り出すようになります。

1970年に仙台市郊外の広大な山林を4000万円で購入。その後、東北新幹線の着工決定に伴い、同地の地価が10倍にも跳ね上がります。

以後、不動産投資を本格化させ、「アベインターナショナル」という会社を設立。

バブル景気に沸いていた80年代、千昌夫さんは歌手活動をセーブし、不動産業に専念。

東京および周辺の県にビルや賃貸物件、またロンドンやシドニー、ハワイなど世界各地にホテルを保有するようになります。

また、自宅や別荘として大豪邸を所有したり、居酒屋「せんや」を経営するなど、その勢いは留まるところを知らず、「歌う不動産王」「ホテル王」の異名を取るようになります。

一時は「ホノルルのほぼすべてのホテルが千昌夫さんの所有」と言われていたこともあるのだとか。事実ではないようですが、それほど莫大な不動産資産を所有していたということなのでしょうね。

バブル全盛期には資産の評価額が3500億円にものぼったそうですが、90年代に入りバブルが崩壊。地価が暴落し、多額の負債を抱えるようになります。

2000年に「アベインターナショナル」は経営破綻し、1034億円もの負債を抱えることになります。

個人的な債務は3000億円にものぼったといいますが、1000億円程度に棒引きされ、さらに民事再生法を適用して2002年に「6年間で約1億5000万円を返済すればよい」という条件にまで軽減されます。

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