田村正和さんは四兄弟!
田村正和さんの父親である阪東妻三郎さんには5人の子供がおり、みな息子さんです。
4人は正妻との間の子供で、田村正和さんは三男になります。また、婚外子として俳優の水上保広さんがいます。
田村正和さんの長兄・田村高廣さん
長兄の田村高廣さんは1928年京都生まれで、同志社大学を卒業後、商社勤務を経て、1953年7月7日の父親の急逝にともない、木下恵介監督や親族からの勧めで松竹に入社。
1954年の木下恵介監督の映画『女の園』でデビューを果たします。
(『女の園』より)
以後も同監督作品『二十四の瞳』『喜びも悲しみも幾歳月』『笛吹川』などに出演し、人気を博すようになります。
63年にフリーになって以降も、65年からの『兵隊やくざ』シリーズでの勝新太郎さんとの共演や、80年の映画『天平の甍』での鑑真役、81年の映画『泥の河』など、数多くの作品で名演を残します。
2006年5月16日に、脳梗塞のため急逝。77歳でした。
田村正和さんの次兄・田村俊磨さん
次兄の田村俊磨さんは1938年京都生まれで、慶應義塾大学経済学部卒業後、一般企業に勤務。
会社員時代に、兄弟の出演作品に一部出演していた時期があったそうですが、俳優業を本業とすることはなく、1966年に会社を退職した後、兄の田村高廣さん、弟の田村正和さんのマネージャーとなります。
その後、実業家に転じ、1980年に田村産業株式会社を設立。93年に社名を株式会社タムサプライヤに改称。
同社では、水防資材、屋外用テーブル、チェア、パラソル、健康志向食品、炭酸泉装置、除菌・消臭剤等を取り扱っており、河川水害防止資材を建設省や地方自治体等に納入した実績もあるとのことです。
田村正和さんの弟・田村亮さん
田村正和さんの弟・田村亮さんは1946年京都生まれ。本名は「田村幸照」といいます。
1965年、成城学園高等学校3年生のときに『破れ太鼓』に出演。
ただ、同映画は父親の阪東妻三郎さんの13回忌企画ということもあり、本格デビューではなく、「おつきあい」のつもりだったそうです。
翌66年の映画『暴れ豪右衛門』で本格デビューを果たし、69年に俳優小劇場養成所に入所。
以後、数多くのドラマ、映画、舞台に出演。
兄の田村高廣さん、田村正和さんとは対照的に、2時間ドラマを中心に活躍し、特に山村美紗原作の作品には毎年のように出演しています。
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