田村正和さんの父親・阪東妻三郎さん
田村正和さんの父親は、端正な顔立ちと卓越した演技力で親しまれた往年の名俳優「バンツマ」こと阪東妻三郎さんです。
カッコイイですね。田村正和さんは父親似だったのでしょうね。
阪東妻三郎さんは1901年に東京・神田の木綿問屋に生まれ、当初は裕福でしたが、後に父親が事業に失敗し、破産。
その後、16歳で歌舞伎界の門を叩き、1919年ごろから映画界で活動を開始。
長い下積み時代を経て、1923年にマキノ・プロダクション入りし、24年の映画『火の車お萬』『怪傑鷹』『燃ゆる渦巻』などで絶大な人気を博すようになります。
そして1925年に自身の映画会社・阪東妻三郎プロダクションを、京都太秦に設立。
田村正和さんの父・阪東妻三郎さんは映画の聖地・京都太秦の生みの親だった
現在太秦と言えば、東映太秦映画村で知られる東映京都撮影所や、松竹京都撮影所で知られ、映画の聖地として非常に有名な場所ですが、当時は何もなかったのだそうです。
以後、阪東妻三郎プロダクションを皮切りに、様々な中小映画会社が集結するようになり、それがやがて松竹や東宝などの大映画会社へと集約されていき、現在に至ります。
阪東妻三郎さんは、現在の映画の聖地・太秦の生みの親とも言える存在ということになります。田村正和さんの父親は俳優としてのみならず、実業家としても凄い人だったのですね。
その後、同プロダクションは解散しますが、阪東妻三郎さんは俳優として時代劇・現代劇を問わず、数多くの映画作品に主演し、終生、大スターであり続けました。
そして1953年7月2日、『あばれ獅子』撮影中に体調を崩し、その5日後に脳内出血により逝去。51歳の若さでした。
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