田中美佐子さんと深沢邦之さんの馴れ初め、結婚エピソード
田中美佐子さんと深沢邦之さんの馴れ初めは、同じ事務所である佐藤企画に所属していたことから。
なお、佐藤企画はかつて萩本欽一さんのチーフマネージャーを務めていた佐藤宏榮さんによって設立された芸能事務所で、現在も業務提携の形で萩本欽一さんのマネージメントを担当しています。
当時田中美佐子さんは人気絶頂で、年収が億を超える大物女優、一方の深沢邦之さんは7歳年下で月収10万円の駆け出しの劇団員・芸人だったことから、100倍以上の収入差のある「格差婚」として大きな話題になりました。
実際、佐藤企画内でも、対等の所属タレント同士というわけではなく、深沢邦之さんが田中美佐子さんの「付き人」を務めていたみたいですね。
当時の深沢邦之さんは下積み時代だったため、芸能人としての仕事がそれほど多くなかったのでしょうね。
かなりの「格差」と言えますが、プロポーズしたのは田中美佐子さんの方だったのだそうです。
深沢邦之さんは田中美佐子さんの付き人として様々な雑用をこなしていましたが、一方で、田中美佐子さんの恋愛相談にもよく乗っており、非常に強い信頼関係が築き上げられていたといいます。
その後、深沢邦之さんは次第に芸能活動が多忙になり、やがて田中美佐子さんの付き人を離れます。
田中美佐子さんはその時初めて、深沢邦之さんの存在の大きさに気づいたみたいですね。
そして、田中美佐子さんの方から電話を掛けたことがきっかけでプライベートでの交流が始まり、やがて交際に発展。
田中美佐子さんの方からプロポーズしたところ、あまりの格差に最初は「考えさせて下さい」と遠慮されたのだそうです。
しかし、その後深沢邦之さんからの返答はなく、しびれを切らした田中美佐子さんは、その1年後にふたたび逆プロポーズ。ついに成婚となりました。
田中美佐子さんと深沢邦之さんの結婚生活の現在
ちなみに、深沢邦之さんは男気のある人のようで、最初プロポーズされたときには、
「男が稼いで男の方からプロポーズするものだ」
と断ったそうですが、田中美佐子さんは「追いつかないよ」と言い返したのだとか。
かなりプライドが傷つきそうな一言ですが、迷った深沢邦之さんは父親に相談。
すると父親は、「田中美佐子さんはお金ではなく、日本中でお前をこそ必要としているわけだから、主夫でも何でも結婚するべきだ」とアドバイス。
この言葉を受けて、深沢邦之さんも結婚に踏み切る決心がついたといいます。
結婚当初は食費も家賃も全部田中美佐子さん持ちだったようですが、現在は深沢邦之さんの稼ぎですべてまかなっており、田中美佐子さんの稼ぎはすべて貯金に回っているのだそうです。
結婚当初とは違って、現在は深沢邦之さんも男として立派に顔が立っているみたいですね。
そんな深沢邦之さんのことを、田中美佐子さんは「多分好きな人」「生活には絶対に必要な人」と表現しています。
かつてはその格差から、結婚生活の継続を危ぶむ声が少なくなかったようですが、四半世紀近くに及ぶ結婚生活を経て、2人は夫婦として、決して切り離せない強い絆で結ばれているようです。
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