五木ひろしさんと言えば、数々のヒット曲で知られる大御所演歌歌手で、日本人なら誰もが知る存在ですが、大物すぎて意外にその素顔を知らなかったりします。

たとえば、五木ひろしさんの結婚馴れ初めや妻のこと、子供の名前や学校といった家族のことなど。

その五木ひろしさんについて、本名や年齢、高校や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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五木ひろしさんのプロフィール

名前:五木ひろし(いつき ひろし)
本名:松山数夫(まつやま かずお)
出身地:福井県三方郡美浜町
生年月日:1948年3月14日
年齢:69歳(執筆時)
身長:173cm
血液型:A型
学歴:明治大学付属中野高等学校卒業
職業:演歌歌手
所属事務所:五木プロモーション

五木ひろしさんは1948年京都府生まれ。

父親は鉱山技師でしたが、その後、福井県美浜町に移住し、鉱山技師を辞め、建築用石材を扱う会社を興します。

五木ひろしさんは歌謡曲好きだった父親の影響で、子供の頃から毎日のように歌を歌うようになり、さらに中学生のときには独学でギターもはじめ、自然と歌手を目指すようになったといいます。

そして、中学を卒業した1963年に、姉を頼って京都へ移り、関西音楽学院に入学。

その後、プロ歌手を目指して上京し、明治大学付属中野高等学校に編入し、歌手デビューのための修行を積みます。

1964年9月に、コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビア専属となり、1965年6月に「松山まさる」名義で『新宿駅から』でデビュー。

以後、「一条英一」「三谷謙」と2度改名しますが、ヒットに恵まれず、不遇の時代を過ごします。

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五木ひろしさんのブレイク~現在

転機となったのは1970年、オーディション番組『全日本歌謡選手権』への出場でした。

この番組に歌手生命を賭けて臨み、見事10週連続勝ち抜きを果たし、グランドチャンピオンに輝きます。

これを契機に、1971年3月、作詞家・山口洋子さんと作曲家・平尾昌晃さんのもとで、「五木ひろし」として再出発することになります。

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なお、この芸名は作家の五木寛之さんにちなんで、山口洋子さんが名付けたそうです。

そして、再デビュー後初のシングル『よこはま・たそがれ』がオリコン最高1位、65万枚という大ヒットを記録。

同曲で1971年の紅白歌合戦に初出場を果たし、以後2017年まで連続出場を継続しています。

以後も、現在に至るまでリリースされた楽曲はことごとくヒット。

現在、2017年時点で、紅白歌合戦出場歴は通算47回(北島三郎さん、森進一さんに次ぐ第3位)、通算トリ回数は13回(美空ひばりさん、北島三郎さんと並び第1位)を記録するなど、日本を代表する国民的な大御所演歌歌手の一人として広く認知されています。

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