恋の奴隷,終着駅などで知られる歌手の奥村チヨさんが、2018年限りで引退を表明したことが話題になりましたが、奥村チヨさんの現在は?また、麻生祐未さんとの関係は?

奥村チヨさんの結婚、夫の浜圭介さん、子供など家族、年齢や身長、高校、経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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奥村チヨさんのプロフィール

名前:奥村チヨ(おくむら ちよ)
本名:金野智代(こんの ちよ)旧姓奥村
出身地:大阪府池田市
生年月日:1947年2月18日
年齢:70歳(執筆時)
身長:158cm
血液型:B型
学歴:夙川学院高等学校卒業
職業:歌手

奥村チヨさんは1947年に千葉県野田市で生まれますが、3歳の時から大阪府池田市で育ちます。

女優の麻生祐未さんは姪にあたります。奥村チヨさんと麻生祐未さんの親族は、多くが大阪に住まわれているのだそうです。

なお、麻生祐未さんは大阪府泉佐野市生まれですが、生まれて間もなく長崎に転居し、幼稚園から高校までを長崎で過ごしています。

奥村チヨさんの芸能界デビューのきっかけは、神戸の夙川学院高等学校在学中のこと、知人が応募したCMソングのオーディションに合格したことでした。

もともと奥村チヨさんは服飾デザイナーになりたかったそうで、歌うのは当初は1回きりの約束だったといいます。

しかし、奥村チヨさんの歌う小野薬品のドリンク剤「リキホルモ」のCMソング『昨日、今日、明日』を聴いた東芝のディレクターがその才能を見抜き、奥村チヨさんを本格的にデビューさせることになったのだそうです。

そして、奥村チヨさんは高校卒業後に上京し、1965年に東芝から『あなたがいなくても/私を愛して』でデビューを果たします。

当時の奥村チヨさんは、黛ジュンさん、小川知子さんとともに「東芝3人娘」と呼ばれ、その蠱惑的な魅力と歌声により、たちどころに人気を博すようになります。

奥村チヨさんの歌手としての名声を確立させたのは、69年から70年にかけてリリースされた『恋の奴隷』『恋狂い』『恋泥棒』の「恋3部作」でした。

特に『恋の奴隷』は51万枚のセールスを記録し、奥村チヨさんの最大のヒット曲となりました。

この一連の作品の大ヒットにより、奥村チヨさんは69年の紅白歌合戦に初出場を果たします。

ただ、最大のヒット曲である『恋の奴隷』は、当時のNHKでは放送コードに引っかかる内容だったため、代わりに『恋泥棒』が歌われることになりました。

翌70年の『嘘でもいいから』もヒットとなり、同曲で2年連続の紅白歌合戦出場を果たします。

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奥村チヨさんの転機となった『終着駅』

71年は紅白出場を逃しますが、同年末の71年12月25日にリリースされた『終着駅』が40万枚の大ヒットとなり、翌72年に3度目の紅白歌合戦出場を果たします。

『終着駅』では、それまでとは一転して人生の切なさを歌っており、『恋の奴隷』などに見られる、男性に従属的なそれまでの奥村チヨさんのイメージを覆すものでした。

デビュー以来の奥村チヨさんは、蠱惑的、男性に甘えた、といったイメージで語られる歌手でしたが、実際の奥村チヨさんはそうではなく、自身としては歌うのをためらっていたといいます。

その路線に行き詰まりを感じていたところに現れたのが、この『終着駅』という楽曲でした。

それまで(嫌々ながらも)売れ続けてきた路線の大幅な転換となる同作品を歌うに際して、奥村チヨさんは歌手引退も辞さない不退転の決意で臨んだといいます。

そして楽曲は大ヒットとなり、奥村チヨさんは嫌々だった「恋」路線からの脱却に成功。

この楽曲が転機となり、以後も奥村チヨさんは歌手として第一線で、『恋の奴隷』等のリバイバルブームによる旧作および新譜のリリース、インストア・ライブの敢行など、息の長い活躍を続けることになりました。

しかし、2018年1月6日に2018年いっぱいで芸能活動から引退することを表明。半世紀以上にわたる歌手活動から退くこととなりました。

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