指揮者・井上道義さんがSWITCHインタビューに登場。

イリスなどオペラやバレエ、マーラーやブルックナーの演奏や、小曽根真さんとのコラボが話題です。

自宅にアヒルを飼っていたそうですが、そんなハーフの指揮者・井上道義さんの父親や妻や子供、がんの病気、高校大学など、wikiプロフィールについて興味があったので調べてみました。

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井上道義さんのプロフィール

名前:井上道義(いのうえ・みちよし)
出身地:東京都
生年月日:1946年12月23日
学歴:成城学園高等学校、桐朋学園大学卒業

井上道義さんは、1946年東京都生まれ。

世田谷区成城という、裕福な世帯の多い地域で育ち、学校も地元の成城学園に通います。

幼少の頃から、ピアノやドラムなどの音楽のほか、スキーやバスケットボールなどのスポーツ、演劇、バレエなど、さまざまな習い事に親しんでおり、それが現在の井上道義さんを形作る素養となりました。

そんなさまざまな興味のうち、井上道義さんが選んだのはクラシック音楽、それも指揮者の道でした。

そして、高校卒業後は桐朋学園大学に進学し、齋藤秀雄さんに師事し、本格的に指揮者としての道を歩み始めます。

1971年にラ・スカラ主催グィード・カンテッリ指揮者コンクールで優勝したのを皮切りに、中島健蔵音楽賞受賞、フランス政府による芸術文化勲章シュヴァリエ受章など、数多くの受賞歴を持っています。

また、京都市交響楽団音楽監督兼常任指揮者、新日本フィルハーモニー交響楽団首席客演指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団首席指揮者などを歴任しています。

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井上道義さんはハーフで父親は?出生の秘密

井上道義さんは父親がアメリカ人の日米ハーフです。

と言っても、少し事情が複雑なようです。

井上道義さんの父親である井上正義さんは、明治時代にアメリカで生まれ、アメリカ国籍を持っていましたが、人種差別を嫌って日本へ行きます。

帰国後、銀座資生堂に就職。1938年、同僚だった廸子(みちこ)さんと職場結婚します。

しかし、次第に日米関係が悪化するにつれ、アメリカ国籍だった井上正義さんは日本にも居づらくなり、廸子さんと共にフィリピンに移住し、現地の日系企業で働くようになります。

さらに、フィリピンが太平洋戦争の戦火に巻き込まれるようになると、ジャングルに逃亡し、周囲の避難民たちが次々と飢餓やマラリアに倒れる中、奇跡的に生き延び、終戦を迎えます。

そのいざこざの中で、廸子さんは米軍人のガーディナー中尉との間の子を身ごもり、日本に帰国後、出産。

そのときの男の子が井上道義さんでした。

井上道義さんが自身の出生の秘密を知ったのは、父親である井上正義さんが亡くなった後、40歳になってからのことだったそうです。

井上道義さんの妻や子供や病気については次のページで!