平尾昌晃さんは数々の名曲で知られる作曲家ですが、小柳ルミ子さんの『瀬戸の花嫁』は最も有名なものの1つです。
その平尾昌晃さんと小柳ルミ子さんの関係、そして瀬戸の花嫁の誕生秘話について調べてみました。
小柳ルミ子さんと平尾昌晃さん
小柳ルミ子、平尾昌晃さん悼む「先生の教えを胸に人々の心に響く歌を歌って行きたい」 https://t.co/uHDusJ3iZE #芸能ニュース pic.twitter.com/s4sTCnz64A
— スポーツ報知 芸能情報 (@Hochi_Geino) 2017年7月24日
小柳ルミ子さんは、中学卒業後、宝塚音楽学校に入学しました。
もともと歌手志望だったため、渡辺プロダクションにその旨を願い出たところ、「宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげる」と回答が。
そして、見事、1970年に宝塚音楽学校を首席で卒業。
すぐに歌手になりたかったものの、事務所から初舞台だけは踏むようにと言われ、「夏川るみ」名義で宝塚歌劇団に入団し、わずか2ヶ月で退団します。
退団した1970年に、歌手デビュー前に顔を売る目的でNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビューします。
そして、1971年4月にワーナー・ブラザース・パイオニアと邦楽部門初の歌手として契約し、満を持していよいよ歌手デビューとなる時がやってきました。
そのデビュー曲『わたしの城下町』を手掛けたのが、平尾昌晃さんでした。
同曲は160万枚の大ヒットを飛ばし、1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を獲得し、日本レコード大賞最優秀新人賞をはじめ、数々の音楽賞を獲得。
また、同曲により、同年の紅白歌合戦にも初出場を果たします。
翌1972年の4枚目のシングルとなる『瀬戸の花嫁』が週間オリコンチャート首位を獲得。年間チャートでも第2位となり、小柳ルミ子さんにとっては『わたしの城下町』に次ぐヒット作となりました。
同曲は第3回日本歌謡大賞を受賞。他に『お祭りの夜』『京のにわか雨』『漁火恋唄』も大ヒットとなり、当時の小柳ルミ子さんは天地真理さん、南沙織さんとともに「三人娘」と呼ばれ、70年代前半を代表するアイドルとなりました。
その後、小柳ルミ子さんはアイドル歌手を卒業し、正統派歌手として数々のヒット曲を世に送り出しますが、その歌手としてのキャリアの初期に、その楽曲のほとんどを手がけたのが平尾昌晃さんでした。
デビュー曲『わたしの城下町』のレコーディングのとき、平尾昌晃さんは1テイクでOKを出したそうですが、小柳ルミ子さんは納得が行かなかったといいます。
そこでもっと歌わせて下さいとお願いしたところ、
「歌は上手く歌う事が素晴らしいんじゃないの。心に響く歌が素晴らしいんだよ」
と返されたのだそうです。小柳ルミ子さんは、今もその教えを胸に、人々の心に響く歌を、心を込めて歌い続けていきたいと考えているとのことです。
平尾昌晃さん作曲の小柳ルミ子さんの楽曲
71.04.25 わたしの城下町
71.09.25 お祭りの夜
72.01.25 雪あかりの町
72.04.10 瀬戸の花嫁
72.08.10 京のにわか雨
72.11.10 漁火恋唄
73.05.25 恋にゆれて
73.11.10 恋の雪別れ
74.03.10 花のようにひそやかに
74.06.10 ひとり囃子-”祇園祭”より-
78.04.25 夢追い列車
82.05.21 みだれ髪
98.09.19 だから京都
2011.03.02 やさしくして
2012.03.07 アカシヤの大連
2012.12.05 青林檎
瀬戸の花嫁の誕生秘話は次のページで!