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中学・高校・大学・学歴

中学
池田朱那さんの出身中学は、調べてみましたが、有力な情報が見つからず不明でした。

群馬県出身で、県内の学校に通っていたのではないかと思われますが、有力な情報は見当たりませんでした。


高校
池田朱那さんは、2017年4月に高校入学、2020年3月に卒業しています。

公表していないようですが、過去、インスタグラムに投稿された卒業時の制服から、『目黒日本大学高等学校』(旧名称:日出高校)ではないかと言われています。

2022年2月現在、インスタグラムでは卒業のときの写真は削除されたようで、見ることはできませんでした。


大学
池田朱那さんは、高校卒業後、大学には進学せず、芸能活動に専念しています。

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池田朱那さんの野球

池田朱那さんには2つ上の兄がいて、小学校に入る前から、よく兄のユニフォームを勝手に着て遊んでいたそうです。

5歳のとき、兄のユニフォームを勝手に着て、一人でチームグラウンドにでかけたとき、”危ない”と怒られてしまいます。

入部は小学生にならないとだめと言われて、小学校に入ってやっと野球を始められて、中学一年生まで約7年間続けます。

兄と同じチームに入り、ポジションは主にショート。

小学生のころは男女差があまりなく、練習した分だけ上手くなっていったといいます。

負けず嫌いで練習はだれよりもやっていたとも話しています。

”ショートは責任のあるポジションで、ベースカバーや外野の守備位置を確認したり、エンドランがあるかもと思ったり、頭を使いながらプレーするのがかっこいいと思っていた、打撃よりも守備のほうが好きだった”とインタビューで話しています。

自宅には野球をやるためだけの庭があり、素振りやピッチングなど、お兄さんが丁寧に教えてくれたそうです。

そのため、投球も打撃も兄そっくりのフォームだったそうです。


キャッチャーの子が試合当日に体調を崩したときは代わりに出場したことも。

盗塁を制したこともあり、その後しばらくはキャッチャーをやっていたこともあった、ホームランもちょこちょこ打っていたといいます。

池田朱那さんは、中学に上がってもお兄さんと同じチームに入っていました。

硬式野球は男子しか入れないチームでしたが、お父さんが監督に直談判してくれ、入ることができたそうです。

しかし、実力や体力の差がどうしても埋まらず、所属していた強豪チームについていけなくなり、中学一年生2月に野球をやめます。

ちょうどその頃、今の事務所にスカウトされ、幼い頃からの夢だった俳優の道に進むことを決めたといいます。



7年間野球をしてきた中で一番思い出に残っているのが、4年生のときに出場した大会だったそうです。

4年生までが出場できる大会で、見事ベスト4に進出。

自身も3番・ピッチャーとして活躍し、思い出に残る大会となったといいます。

「同級生が4人しかおらず、2つ年下の選手にも出てもらったような状態でした。それでもすごく仲が良いチームで、みんなが頑張ったことで勝つことができました。その大会が忘れられません」

と話しています。



池田朱那さんのお兄さんは、群馬県の高校野球の強豪・健大高崎(高崎健康福祉大学高崎高等学校)の野球部に所属していたそうです。

池田朱那さんはお兄さんのことを「誇り」に思っているといいます。

「野球やってる時から、兄は私のヒーローでした。すごく上手で足も本当に速くて、何でもできました。
今年は初戦で負けてしまってびっくりしましたが、兄が健大高崎の選手だったことは誇りです」

と、2019年8月のインタビューで話していました。



下記のインスタグラム投稿では、2枚目、3枚目に小学生時代の野球をする池田朱那さんの姿を見ることができます。

池田朱那さんの現在

池田朱那さんは、2022年2月18日から始まる、小出恵介さん主演の舞台『群盗』に出演します。

主人公を一途に愛する恋人・アマーリア役に、約400人の中から選ばれました。



また、2022年5月公開予定の映画『20歳のソウル』(神尾楓珠さん主演)では、主人公の妹・浅野千鶴を演じます。

『20歳のソウル』は、中井由梨子氏が手掛けた書籍「20歳のソウル 奇跡の告別式、一日だけのブラスバンド」を映画化した作品です。

千葉県船橋市立船橋高校に代々受け継がれている応援曲「市船soul」を作曲した青年・浅野大義と、市船吹奏楽部の絆が生んだ奇跡を辿った物語です。



2019年に”令和の野球少女”と注目を集めてから、2022年も続々と出演作品が控えていて、大活躍の池田朱那さん。

これからの活躍もとても楽しみです。

以上、俳優の池田朱那さんについて、でした!