吉高由里子さん主演のドラマ『最愛』の脚本を手掛けた脚本家・奥寺佐渡子さん。湊かなえさん原作ドラマ『夜行観覧車』『リバース』『Nのために』など多くのミステリー作品を手掛ける他、『時をかける少女』など細田守監督のアニメ作品にも携わるなど、多くのドラマ,映画で活躍されています。
奥寺佐渡子さんの出身高校,大学等の経歴、脚本家になったきっかけ、結婚,夫,子供について、『最愛』の共同脚本をされている脚本家・清水友佳子さんについて、細田守監督の作品や、現在の最新作についてなど、気になったので調べてみました。

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奥寺佐渡子さんのプロフィール

名前:奥寺佐渡子(おくでら さとこ)
出身地:岩手県
生年月日:1966年2月16日
年齢:55歳(執筆時)
学歴:東海大学文学部広報学科卒業
職業:脚本家

経歴

奥寺佐渡子さんは、1966年2月16日、岩手県に生まれます。

最初は特に脚本家になろうと考えていたわけではなく、物を書くことが好きだったため、取材して何か書いたりする”雑誌記者”のような仕事ができたらいいなと考えていました。

たまたま大学当時に書いた脚本がディレクターズ・カンパニーの公募に受かって、相米慎二監督から連絡されましたが、卒業後は就職先として決まっていた石油元売会社で普通に働きながら、3年ほど深夜番組の台本を副業で書いていました。

ディレクターズ・カンパニーは、長谷川和彦監督ら当時の若手監督9人で旗揚げした製作会社で、後に相米慎ニ監督も参加しました。

相米慎二(そうまい しんじ)監督は、薬師丸ひろ子さん主演の映画『セーラー服と機関銃』(1981年)、『台風クラブ』(1985年)など、1990年代の日本映画界に新風を起こし、その後も多くの映画人に多大な影響を与えている映画監督です。

1948年1月13日、岩手県盛岡市出身。『風花』(2001年)が公開された年の夏に肺がんを告知され療養生活に入り、2001年9月9日、53歳で逝去。



1980年代半ばに『鳩よ!』にて詩人としてデビュー。


1993年、相米監督の映画『お引越し』で脚本家デビュー。

同作は、ひこ・田中原作の小説を相米慎二監督が映画化したもの。

本作でデビューした田畑智子さんが、離婚する両親の間でゆれながら成長する少女を好演し、高い評価を受けます。


1995年、『学校の怪談』で第19回日本アカデミー賞脚本賞受賞。

『学校の怪談』は、当時小学生の間で広がっていた学校の怪談ブームを受けて製作された映画シリーズ。

1995年度日本アカデミー賞では脚本賞と美術賞にノミネートされました。



1998年、文化庁新進芸術家在外研修員としてアメリカに留学。


2010年には『サマーウォーズ』で第9回東京アニメアワード個人賞(脚本賞)を受賞。



2012年、『八日目の蝉』で第35回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。



主な作品
テレビドラマ
『夜行観覧車』(2013年、)『Nのために』(2014年)、『リバース』(2017年)、『わたし、定時で帰ります。』(2019年)





映画
『八日目の蝉』(2011年)、『バンクーバーの朝日』(2014年)、『コーヒーが冷めないうちに』(2018年)



アニメ
『時をかける少女』(2006年)、『サマーウォーズ』(2009年)、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)

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シナリオライターになったきっかけ

奥寺佐渡子さんは、はじめからシナリオライターになろうと考えていたわけではなかったそうです。

物を書くことが好きで、取材して何か書いたりする”雑誌記者”みたいな仕事ができたらいいなと思っていたそうです。

大学在学中に書いたシナリオが、ディレクターズカンパニーの公募に受かって、相米監督から「読んだよ」と連絡が来ます。

しかし、そのときは大学卒業時でしたが就職先が決まっていた為、そのままその会社に働きながら、3年ほど深夜番組の台本を副業で書いたりしていました。

就職先は石油会社の、”新規事業開発本部”というところで、ガソリンスタンドの空いた土地をどう使うか考えたり、お店を開いたり、ガソリンスタンドにコンビニをくっつける事を考えたり、という部署で、楽しく働いていたといいます。

子供の頃は、作文で褒められたり、新聞部で作ったものが「面白かったよ」と言われることが嬉しく思っていて、読書も大好きで、シナリオ選集もよく読んでいたそうです。

シナリオの学校には行きませんでしたが、シナリオをたくさん読んだり、ドラマをビデオで一時停止させながら構成やセリフ、動きを全て文字化してシナリオを書く練習をしていたそうです。

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