オリンピック女子マラソン元日本代表のダイハツ・浅利純子(あさりじゅんこ)さん。
爆報!THEフライデーやマツコの怒り新党や東京国際女子マラソンでの市橋有里戦の動画やアシックスシューズの事件が話題です。
また、浅利純子さんの現在、結婚や夫や子供のことなどに興味があったので調べてみました。
浅利純子さんのプロフィール
名前:浅利純子(あさり・じゅんこ)
出身地:秋田県鹿角市
生年月日:1969年9月22日
学歴:秋田県立花輪高等学校卒業
浅利純子さんは1969年秋田県生まれ。
高校卒業後、ダイハツに入社し、女子陸上部に所属します。
マラソンデビューは1991年の大阪国際女子マラソンで、12位(2時間37分01秒)の記録を残します。
翌1992年の同マラソンでは、優勝候補の一角で、途中までは先頭グループにいましたが、同じダイハツ所属の小鴨由水選手のペースについていけず、36キロ付近で脱落してしまいます。
ちなみに、小鴨由水さんはこれが初マラソンで、ダイハツとしては、浅利純子さんのペースメーカーという位置づけでしたが、予想以上の力を発揮し、松野明美さんも抜いて、当時日本新記録で優勝します。
結局浅利純子さんは6位に終わり、バルセロナ五輪代表を逃してしましました。
しかし、その後、1993年の大阪国際女子マラソン優勝、世界陸上シュトゥットガルト大会優勝、1995年の東京国際女子マラソン優勝など、目覚ましい成績を残し、1996年のアトランタ五輪代表に選出されます。
アシックス・三村仁司氏のシューズ
しかし、アトランタ五輪の金メダル候補と目されていた浅利純子さんでしたが、本番では17位と惨敗。
その時履いていたアシックスのシューズが合わず、靴擦れを起こし、血豆が破れてしまったのです。
とても不運な事故でしたが、この責任者として、アシックスのシューズの製作を担当していた三村仁司さんがやり玉に挙げられます。
浅利純子さんサイドの主張では、三村仁司さんに「裸足で履くように」と指示されて、それに従ったことが原因だ、ということでした。
三村仁司さんの作るシューズは、裸足で走ってこそ真価が発揮されるし、実際にそういう風に設計されている、と言われていました。
それを信じて従ったのに、というのが浅利純子さん側の主張でした。
もちろん、これが正しければ三村仁司さんに非があります。実際、三村仁司さんはこの一件でずいぶんバッシングを受けたようです。
しかし、後年、三村仁司さんは、実は本番の直前に、浅利純子さん本人から「以前の中敷きにしてください」と言われ、急遽作り直したのだと述懐しています。
それが正しければ、浅利純子さん側が虚偽の言い訳をしていたことになります。
両者の主張は食い違っており、どちらが正しいのかは分かりません。
しかし、いずれにせよ、最終的に提供した靴によって浅利純子さんが怪我をして、不本意な成績に終わったという結果を見れば、責を負うべきは靴を作った自分だ、と三村仁司さんは考えたのでしょう。
バッシングの最中にはそのような反論は一切せず、甘んじて受け入れていたようです。
もちろん、後になって言い出すことにも批判はあるかもしれませんが、三村仁司さんの中にある真実を、いつかは話さないわけにはいかなかったのかもしれませんね。
浅利純子さんのその後、結婚や夫や子供など現在については次のページで!