さて、アトランタ五輪では不本意な成績に終わった浅利純子さんのその後、結婚や夫や子供など現在、そして市橋有里さんとの大阪国際女子マラソンの動画についてです。
浅利純子さんのその後と現在。結婚や夫や子供について
浅利純子さんは、アトランタ五輪後、1997年のボストン・マラソンで6位、1998年のロッテルダムマラソンで2位を記録し、復調を印象づけます。
そして再び脚光を浴びることになる1998年の東京国際女子マラソン。
38キロ付近からは、市橋有里選手との一騎打ちになり、最後の数十メートルまで抜きつ抜かれつ、結果の見えないデッドヒートが繰り広げられます。
そして最後の30メートルで、ついに浅利純子さんが市橋有里さんを抜き返し、そのまま優勝ゴールを飾ります。
そのときの動画です。
アトランタ五輪の不完全燃焼から、完全復活を印象づけたこの一戦でしたが、その後の戦績は振るわず、3年後の2001年、浅利純子さんはついに現役引退を表明、ダイハツ陸上部のコーチに就任します。
浅利純子さんの現在。結婚、旦那、子供について。
その後、浅利純子さんは2005年にダイハツを退社し、故郷の秋田県鹿角市に帰郷します。
そして2006年に、高校時代の陸上部の1年先輩と結婚。
旦那さんは郵便局員で、鹿角市内の郵便局で内勤をなさっているそうです。
浅利純子さんは現在3人の男児の母親になっており、夫のことは「パパ」と呼んでいます。
37歳の時に長男、42歳の時に三男を産むという高齢出産でしたが、3人とも元気にすくすくと育っています。
散らかしっぱなし、汚しっぱなしで、家事や育児に追われる日々なのだそうですよ。
現在は、鹿角市役所の生涯学習課が所管する、「学校支援コーディネーター」というお仕事をなさっているそうです。
もちろんマラソンから離れたわけではなく、市民ランナーとしてイベントや講演を行ったりもしているようです。
子供たちに対しては、3人のうち1人でもいいから、箱根駅伝に出てほしいと考えているのだとか。
故郷の鹿角市では浅利純子さんの名前を冠した、小中学生向けの「浅利純子杯争奪鹿角駅伝」が毎年催され、そのスターターや伴走者を務めているのだそうです。
世界のトップを争っていた頃とは打って変わって、おしゃれにも気を使うようになり、子供や「パパ」のために母として妻として、また故郷鹿角市の少年少女ランナーや市民ランナーの育成者・指導者として、多忙な日々を過ごす浅利純子さん。
マラソン一筋の人生から、上手にギアチェンジして、素敵な幸せを手に入れているみたいで、見ているこちらも嬉しい気持ちになりますよね。
以上、浅利純子さんについてでした!