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假屋崎省吾さんの父親と母親

假屋崎省吾さんの父親は中央区役所に勤める公務員、母親は専業主婦で、独身時代は銀座でOLをなさっていたそうです。

実家は東京・石神井の2DKの質素な借家住まいでしたが、必ずしも慎ましく暮らしていたわけではなかったようです。

両親ともに非常に多趣味な人たちで、貯金を全くせず、旅行や外食、音楽、映画鑑賞、美術館巡り、園芸などにお金を惜しまない人たちだったといいます。

父親は建築を学び、役所での担当も都市計画だったそうで、ものづくりが好きで日曜大工の腕前もかなりのものだったそうです。

専門が建築のためか、旅行先も神社仏閣やお城などの由緒ある建物を巡ることが多く、假屋崎省吾さんの美的感覚はそこで培われたようですね。

母親はクラシック音楽が大好きで、家事をしながらシューベルトの歌曲を口ずさむほどの愛好家だったそうです。

また、着物にも非常に造詣があり、その影響で假屋崎省吾さんは自らも着物をプロデュースするようになりました。

両親とも、とにかく多趣味で美しいものが大好きで、そういったものに一切お金を惜しまない人だったため、子供である假屋崎省吾さんも好きなことをさせてもらえたようで、ピアノやバイオリンなどのお金のかかる習い事を掛け持ちしていたのだとか。

そして、假屋崎省吾さんがピアノを習い始めると、4畳半の狭い部屋にポン、とピアノを用意してくれたのだそうです。

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假屋崎省吾さんと母親

また母親は、どんなときも假屋崎省吾さんのことを褒め、「自分の本当にしたいことを見つけて、自分の思い通りに生きなさい」と言い続けてきたといいます。

假屋崎省吾さんの生き方は、実際かなり母親の影響を受けているみたいですね。

假屋崎省吾さんは、早稲田大学在学中に父親が亡くなり、卒業後は好きな生け花をやりながら、母親と2人で暮らしていくためにカツカツの生活を送っていたのだそうです。

どうしても個展を開きたいと思いながらも、お金がないからと諦めていたそうですが、「個展やりたい」とポツリと言ったときに、母親は「これを使いなさい」と老後のための蓄えを出してくれたのだそうです。

自分の老後よりも何よりも息子の人生を慮っていたのですね。とても愛情深い母親だったのですね。

そして、假屋崎省吾さんは母親に与えられたチャンスを見事に活かし、初個展を成功に導きます。

美術誌などから高い評価を受け、以後も個展を重ね、次第に名が知られていき、やがてお花を活かした空間デザインの仕事が多く舞い込んでくるようになります。

生け花の世界で成功を収めた假屋崎省吾さんは、母親への恩返しの意味も込めて、子供の頃から念願だった大豪邸の新居を建てることに。

母親もとても楽しみにしていたそうですが、引っ越し前日に急に亡くなってしまいます。

假屋崎省吾さんは両親に対する感謝の気持ちとともに、花や土に向かい続けているといいます。植物と向き合うことは、假屋崎省吾さんにとっての、まさに原風景・原体験といえるものなのかもしれませんね。

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