十朱幸代さんといえば『日本一短い「母」への手紙』などの作品で知られる名女優ですが、自叙伝での西城秀樹さんとの秘密のことなどが話題になりましたね。

その十朱幸代さんの結婚や彼氏、小坂一也さんとの関係、父親の十朱久雄さんについて、年齢や身長、高校や経歴などwikiプロフィールと共に調べてみました。

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十朱幸代さんのプロフィール

名前:十朱幸代(とあけ ゆきよ)
本名:小倉幸子(おぐら ゆきこ)
出身地:東京市日本橋区(現・東京都中央区)
生年月日:1942年11月23日
年齢:76歳(執筆時)
身長:160cm
体重:50kg
血液型:O型
学歴:文化学院高等部英文科卒業
職業:女優
所属事務所:アクターズ・セブン

十朱幸代さんの若い頃~今現在

十朱幸代さんは1942年東京市日本橋区生まれ。父親は俳優の十朱久雄さんです。

母親は専業主婦で、美人と話題だったそうですが、勉強をしないと電柱に縛り付けたり、トイレに閉じ込めたりなど、超スパルタだったのだとか。

その一方で、父親の仕事が少なく貧しかった時代には、コロッケや氷を売ったりして家計を支えていたといいます。

徐々に父親の仕事も増え、十朱幸代さんは港区赤坂中学校に進学。銀座でスカウトされ、中学生からモデル活動を始めます。

そして、中学校在学中の1956年に、父親に同伴してテレビ局を訪れたところをスカウトされ、ラジオ番組『スリー・チャンス・ゲーム』に父親と共に出演し、芸能界入り。

1958年のNHK『バス通り裏』に出演し、女優デビューを果たします。

(『バス通り裏』より)

同番組はNHK初の本格的な連続ドラマとして5年にわたって放送され、広くお茶の間の人気を博し、後のNHK連続テレビ小説などの日本の帯ドラマの基礎を築いたとされる伝説的なホームドラマ作品です。

岩下志麻さんや米倉斉加年さん、田中邦衛さん、常田富士男さんなど、当時無名だった後の大俳優を数多く輩出したことでも有名です。

翌59年に木下恵介監督の映画『惜春鳥』で映画デビュー。

デビュー早々に注目を集めた十朱幸代さんは、その後も順調に多くの作品に出演。

20歳のときには目黒に47坪3階建て7LDKの豪邸を建て、貧しかった幼少時代からの宿願だった一軒家住まいを実現。親孝行を果たします。

以後も数多くのドラマ、映画に出演し、ブルーリボン主演女優賞、毎日映画コンクール女優主演賞、日本アカデミー賞主演女優賞など、数多くの映画賞を受賞。

2003年には紫綬褒章を、2013年には旭日小綬章を受章。

古希を迎えた近年も、2018年には日本テレビの連続ドラマ『高嶺の花』に出演し、また自叙伝『愛し続ける私』を出版し、その赤裸々な恋愛遍歴の告白が話題になるなど、恋多き大女優としての存在感を放ち続けています。

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十朱幸代さんの夫・小坂一也さんは事実婚!

十朱幸代さんには正式な結婚歴はありませんが、7歳年上の俳優・小坂一也さんと長年事実婚の関係にありました。

(小坂一也さん)

馴れ初めは十朱幸代さんの映画デビュー作『惜春鳥』(59年)での共演から。

当時高校1年生だった十朱幸代さんの初恋の相手だったといいます。周囲が子供扱いする中で、小坂一也さんだけが大人の女性として扱ってくれたのだそうです。

しかし、お互いに役者としてスタートしたばかりなので、結婚はしない、と同意した上での交際だったのだとか。

その同意があったからこそ、かえって長続きしたのでしょうか、交際は15年も続きました。

1974年1月に挙式しますが、入籍はせず、事実婚状態のまま新婚生活に入ります。

ところが、「結婚」から間もなく破局。原因は小坂一也さんの浮気だったと言われています。

小坂一也さんはかなりのモテ男だったみたいで、交際期間中も複数の女性と浮気をしていたのだそうです。

中でも決定的だったのは、松坂慶子さんとの交際だったといいます。

小坂一也さんと松坂慶子さんは74年にドラマの共演で知り合い、急接近。

そして小坂一也さんは、一方的に十朱幸代さんに別れを告げたのだそうです。わずか1年足らずの「結婚生活」でした。

なお、その後小坂一也さんは松坂慶子さんと結婚前提に交際を続けるものの破局。その後77年に一般女性と結婚します。

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