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宮崎美子さんのミノルタCM以後~現在

1980年のミノルタCMに出演した後の宮崎美子さんは、もともとジャーナリスト志望だったこともあり、大学4年に進級した1980年4月から、地元熊本放送の番組レポーターになります。

大学卒業を控えていたため、ドラマ等への出演は断り続けていましたが、TBSのプロデューサーとディレクターに口説かれて、ついに「ポーラテレビ小説」シリーズの『元気です!』に初主演し、女優デビュー。

しかし、大学のある熊本と東京の往復生活のため、学業面で遅れを取り、単位不足で留年を余儀なくされます。

それでも大学5年次の1981年4月~82年3月には、東京と熊本を往復しながら『2年B組仙八先生』の撮影と学業を両立させ、見事卒業にこぎつけます。

以後、女優としての才能を開花させ、数多くのドラマ、映画、舞台に出演。

それだけでなく、その知性や博識を活かして『クイズダービー』や『タイムショック』、『熱血!平成教育学院』『Qさま!!』『くりぃむクイズ ミラクル9』といった数多くの人気クイズ番組の解答者として活躍。

元祖「才色兼備の女子大生タレント」宮崎美子さんは、現在も女優として、また高学歴の知的タレントとして、第一線で活躍を続けています。

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宮崎美子さんの結婚、旦那は?

宮崎美子さんは1989年、当時テレビ制作会社の「イースト」所属だった上川伸廣さんと結婚しますが、わずか1年4ヶ月後に離婚しています。

上川伸廣さんは、大学在学中に宮崎美子さんが出演したドラマ『2年B組仙八先生』のADを務めていました。

『わくわく動物ランド』『たけし・逸見の平成教育委員会』『たけしの万物創世紀』『奇跡体験アンビリバボー』などのバラエティ番組や、

『悪魔のKISS』『ストーカー 逃げ切れぬ愛』『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』などのドラマなど、数多くの番組の演出・ディレクターを担当。

今では当たり前になっている「正解はCMの後で」という番組構成は、上川伸廣さんの発案なのだそうです。

また、上の担当番組のリストからもうかがえるように、ビートたけしさんからの信頼も非常に厚いそうで、非常に優秀なディレクターのようですね。

2005年にイーストを退社し、以後フリーランスとして活躍しています。

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