欽ちゃんこと萩本欽一さんの駒沢大学入学が話題になりましたが、卒業や現在は?
萩本欽一さんの子供(息子)、妻など家族、年齢や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。
萩本欽一さんのプロフィール
名前:萩本欽一(はぎもと きんいち)
出身地:東京都台東区
生年月日:1941年5月7日
年齢:76歳(執筆時)
身長:164cm
体重:65kg
血液型:A型
学歴:駒込高等学校卒業
現職:コメディアン、タレント、演出家
所属事務所:浅井企画、佐藤企画、萩本企画
萩本欽一さんは1941年東京都台東区生まれ。
駒込高等学校卒業後、東洋劇場でコメディアン見習いを始めます。
その後、東洋劇場系列の浅草フランス座に出向し、後にコンビを組む坂上二郎さんと知り合います。
東洋興業を辞めた後、テレビ進出を試みますが、失敗。失意の中、コント「机」を考案し、テレビでの再起を図ります。
そのコント「机」を演じるために1966年に結成されたのが、坂上二郎さんとのコンビ「コント55号」でした。
以後、コント55号はテレビで人気に火がつき、数多くの冠番組を抱えることになります。
さらに萩本欽一さん単独でも多くの冠番組を獲得。
『欽ちゃんのドンとやってみよう!』
『欽ドン!良い子悪い子普通の子』
『欽ちゃんのどこまでやるの!?』
『欽ちゃんの週刊欽曜日』
など、いずれも高視聴率を叩き出し、その合計視聴率は100%を超え、
「100%男」
の異名を取るほどになりました。
70歳を過ぎた現在も、NHK『第48回 思い出のメロディー』総合司会、NHKBSプレミアム『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』や、NHKラジオ『ラジオ深夜便』の「萩本欽一の人間塾」などの番組で活躍しています。
また、全盛期の時の自らの番組から巣立っていった「欽ちゃんファミリー」の面々は、その多くが現在も第一線で活躍しており、テレビ業界における萩本欽一さんの影響力、貢献には甚大なものがあります。
萩本欽一さんの結婚、妻
萩本欽一さんは1975年に2歳年上の澄子さんという女性と結婚しています。
澄子さんは家庭の事情で「高峰みゆき」という芸名でストリッパーをなさっていたそうです。
馴れ初めは萩本欽一さんが駆け出しの頃、「浅草フランス座」でストリップショーの合間にコントを披露していたことから、澄子さんと知り合ったそうです。
見習い時代から「有名になりなよ」といつも目をかけてくれ、萩本欽一さんにとっては特別な存在だったようです。
まもなく2人は同棲を始めます。当初は澄子さんが生活費のほとんどを賄っていたといいます。
萩本欽一さんは澄子さんとずっと結婚したいと思い、プロポーズしたこともあるものの、拒まれ続けたのだそうです。
やがて萩本欽一さんがコント55号としてテレビで売れ始めると、迷惑をかけたくないと忽然と姿を消してしまったのだとか。
萩本欽一さんは八方手を尽くして、澄子さんを探し回り、ようやく見つけ出して改めてプロポーズ。しかし、
「有名人の妻にはなりたくないのよ」
と、またしても断られてしまいます。
しかし、萩本欽一さんの澄子さんに対する想いは本物でした。
僕はもう絶対に離さないと決めていた。売れっ子になると女性にもてる。週刊誌に女性スキャンダルを書き立てられたこともある。ウソばっかりじゃなかった。だけど嫁さんは澄子さん。その思いはずっと変わらなかった。
その想いはついに通じ、ようやく澄子さんは首を縦に振ります。
2人は1975年に結婚し、その後3人の息子が誕生。
息子さんたちは一般人ということもあり、特に職業などが公表されているわけではないようです。
とはいえ、親族には化粧品会社会長(兄)や社長(姪)、小学校校長(弟)、プロテニスプレーヤー(姪孫)など、凄い経歴の人が多い萩本欽一さんの息子さんですから、みなさんきっとそれぞれの業界の第一線で活躍なさっているものと思われます。
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