「魔法のフライパン」で知られる錦見鋳造社長・錦見泰郎さん。
錦見鋳造の二代目社長として、「二年以上待ち」と言われるほどの人気商品を開発した立役者です。
しかし、そこに至るまでの道のりは決して生易しいものではなかったようです。
魔法のフライパン、そして錦見泰郎社長や錦見鋳造のエピソードはどんなものなのでしょうか。
錦見泰郎・錦見鋳造社長
名前:錦見泰郎
職業:錦見鋳造株式会社代表取締役(2代目)
生年月日:1960年愛知県生まれ
妻は博子さんといい、錦見鋳造の取締役として、錦見泰郎さんの重要なビジネスパートナーとして多忙な日々を送っているそうです。
魔法のフライパン
「魔法のフライパン」と呼ばれる理由は、「このフライパンを使えば、それだけで料理がおいしく作れる」という、夢のような特性を持つからだそうです。
料理する人の腕以前に、フライパン自体の特性で、おいしくできるのだとか。
なぜそんなことができるのでしょうか?
どうやら、魔法のフライパンの作り方に秘密があるようです。
魔法のフライパンは、鋳鉄製(!)です。
鋳鉄というのは、鋳型に溶かした鉄を流し込んで作るもので、炭素を多く含みます。
炭素を多く含む方が、融点(鉄が溶ける温度)が下がり、鋳物に加工しやすいからですね。
そのようにして作るため、薄い金属板を曲げて加工する通常の調理器具に比べると、どうしても厚くなってしまうのです。
そのため重く、料理をする女性にとっては扱いにくいものになります。
しかし、炭素を多く含むという特性のため、遠赤外線効果により、フライパンの表面全体の温度が均一になり、熱を効率よく伝える。
そのため、食材のうまみを逃さずに調理できるという、他にはないメリットもあるのです。
さらに、炭素を多く含み、鉄と炭素のすき間が多いため、このすき間に油が浸透することで皮膜を作り、その結果焦げ付きにくいという長所もあります。
理想的な性質ですが、この「厚すぎる」というのが、致命的なネックになっていたのですね。
錦見泰郎さんは、40歳で父の創業した錦見鋳造を継ぎますが、それ以前の31歳の頃から鋳鉄のフライパン開発にチャレンジし始めました。
これさえ解決すれば、すごい商品になる、と確信した錦見泰郎さんは、執念で開発に取り組みます。
その過程は本当に大変だったみたいですね。
もともと錦見鋳鉄は工業製品の下請けでした。
バブルが崩壊した後、取引先のメーカーから切られたり買い叩かれたり、そんな逆境の中で、「3分の1の価格競争か、3倍の難しい技術か」という新聞の見出しに触発され、「3倍の難しい技術」を選び、魔法のフライパンの開発を始めたのだそうです。
むしろそういう逆境だったからこそ、そのより困難な道に活路を見出したのでしょうね。
炭素の配合を変えたり、鋳型の精度を挙げたりなど、試行錯誤を繰り返しましたが、薄くしようとするとどうしても脆くなってしまい、なかなかうまくいきませんでした。
それでも10年の歳月と数千万円の開発費を掛けて、諦めずに開発を続ける錦見泰郎さんと従業員たち。
そして、ついに光が差す時がやってきます。
失敗続きでしたが、ある時、炭素の配合ミスにより、偶然1.5ミリの厚さのものが出来上がります。
4~5ミリが当然だった鋳鉄を、わずか1.5ミリにまで薄くすることに成功。重さもわずか980グラムと、女性にも扱えるくらいにまで軽量化することができました。
ミスにより偶然できる、というのは興味深いですね。
ノーベル化学賞を受賞した、白川英樹博士や、田中耕一さんの発明も、材料の配合の失敗から生まれたもののようです。
でも、「運が良かった」というのとは違いますよね。
失敗を失敗で終わらせず、なおそこに可能性を見出す注意力と執念、そして知識や経験の蓄積があったからこそ、失敗を大発明に転じることができたわけですからね。
この1.5ミリの鋳鉄製のフライパンは、プロの調理人にも絶賛され、「魔法のフライパン」としてメディアでも取り上げられ、爆発的なブームになりました。
しかし、すべて手作りのため、生産が間に合わず、2年以上も待たなければならない、という状態になってしまっているそうです。
増員して増産を試みているようですが、何しろ鋳鉄は職人芸ですからね。
人員を確保し、育てるのに長い年月がかかるでしょうから、即増産、というわけにはいかないようです。
結構いい値段がしますけど、投じた開発費と、一つ一つを作る手間を考えれば、やむを得ませんよね。
海外向けの展示会でも非常に好評で、「魔法のキャストアイアン(鋳鉄)」と呼ばれるほどだとか。
それに意を強くした錦見泰郎社長は、海外展開も考えているようですが、国内でさえまかないきれない現状では難しいようです。
でも、いずれは人材の問題をクリアして、世界の錦見鋳造になる日もきっと近いと思います。