芹洋子さんと言えば、坊がつる讃歌、四季の歌、穂高よさらば、など数々の爽やかな名曲で知られていますが、過去に交通事故で記憶喪失になったという壮絶な過去があることはよく知られています。

また、結婚や旦那、娘のAMIさんのことなどにも関心が持たれているようです。

その芹洋子さんについて、年齢や経歴などwikiプロフィールとともに調べてみました。

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芹洋子さんのプロフィール

名前:芹洋子(せり ようこ)
本名:伊東洋子(いとう ようこ)旧姓善利
出身地:大阪府東大阪市
生年月日:1951年3月10日
年齢:67歳(執筆時)
学歴:八尾市立清友高等学校卒業
職業:歌手

芹洋子さんは1951年大阪府生まれ。

小学4年生の頃からテレビに出演し、小学6年生で「ポリドール歌謡コンクール」、中学3年生のときに「ホイホイミュージックスクール」で好成績を納めます。

1969年にビクターより『野に咲くバラのように』でメジャーデビューを果たします。

1970年よりNHK『歌はともだち』に登場。

1972年、キングレコードに移籍、『牧歌~その夏~』で再デビュー。

1974年、『愛の国から幸福へ』がヒット。

1976年、『四季の歌』が売上枚数80万枚とも200万枚とも言われる大ヒットを記録。

以後も『赤い花白い花』『坊がつる讃歌』などヒット作を継続し、1978年には紅白歌合戦に初出場を果たします(歌は『坊がつる讃歌』)。

1981年、日中文化交流音楽大使として日本人初の北京公演を実現。以降中国公演は12回を数えます。

中国の指導者とも交流が盛んで、胡錦濤・前国家主席は芹洋子さんの大ファンで、中国公演のたびに毎回のように足を運んでいたのだとか。また、習近平・現国家主席の妻で歌手の彭麗媛さんとは、何度も競演しています。

同81年に結婚。翌年長女を出産。

1992年、交通事故により記憶喪失になりますが、懸命のリハビリによって歌手に復帰。

現在も、定期的に開催される「うたごえ喫茶」ほか、全国各地でのコンサートやイベント、テレビ出演、中国公演、また毎年のように複数のアルバムをリリースするなど、歌手として超多忙な日々を送っています。

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芹洋子さんの結婚、夫は伊東佳男さん

芹洋子さんは1981年に所属プロダクション社長の伊東佳男さんと結婚し、翌82年に長女を出産しています。

夫の伊東佳男さんは結婚後、公私に渡って芹洋子さんを支え続けてきましたが、2016年に大腸がんを発症。

以後闘病生活に入りますが、2017年8月14日に83歳で逝去されました。

芹洋子さんの娘・AMIさん

芹洋子さんと伊東佳男さんの間には一女があり、名前をAMI(本名:伊東亜美)さんといいます。

AMIさんは1982年東京生まれの千葉県育ちで、地元の国府台女子学院の小・中学部を卒業後、文化学院普通科に入学。

その後、ふたたび文化学院創造表現科に入学し、シナリオや文学、心理学などを学びます。

卒業後は声優、役者などの芸能活動を始めたそうですが、現在は活動内容については特に報告はしていないようで、不明です。

2017年に、芹洋子さんのスケジュール管理を担っていた事務所社長の父親・伊東佳男さんが亡くなり、マネジメントの業務を引き継いだそうですので、そちらの方が多忙になっているかもしれません。

ただ、プロフィールによると、学生時代から作家を志すようになり、今もその夢を持ち続けているそうですので、将来的には文筆業の方でも活躍するようになるかもしれません。

母親が芹洋子さんということもあり、一般の人にはなかなかできない経験・体験がたくさんおありのようですから、とても興味深い本になることでしょうね。

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