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瀬戸の花嫁の誕生秘話

『瀬戸の花嫁』は平尾昌晃さんが数多く手掛けた小柳ルミ子さんの楽曲の中でも、最も愛され続けているものの1つとして知られています。

当時の小柳ルミ子さんは20歳で、デビュー曲の『わたしの城下町』の大ヒット以来、人気アイドル歌手として順風満帆な滑り出しを見せていました。

そんな小柳ルミ子さんが、あるとき、思わず、

「私、お嫁になんか行きません。ずっと歌を歌い続けます」

と口にしたことがあったそうです。

すると、平尾昌晃さんと作詞の山上路夫さんが、「それ面白いね」「だったら歌の中でお嫁に出しちゃおう」と即座に反応、その場で新曲の制作が進められることになったのだとか。

平尾昌晃さんが「瀬戸内海っていいな。情景が目に浮かぶんだよね」とアイデアを出したところ、山上路夫さんも同意。瀬戸内海をテーマで曲と詞を別々に作って持ち寄ることに決定し、2人はその場で一旦別れます。

2週間後、山上路夫さんは「瀬戸の夕焼け」「峠の花嫁」という2つの詞を持ち込んできますが、平尾昌晃さんは「情景が浮かばない」と今ひとつの反応を示します。

そこでマネージャーが、「2つを一緒にして『瀬戸の花嫁』はどうですか」と提案。

平尾昌晃さんも山上路夫さんもその案を気に入り、正式タイトル『瀬戸の花嫁』が即座に決定。

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さらに10日後にそれぞれ曲と詞を持ち寄ったところ、お互いの持つ瀬戸内海のイメージがピッタリとはまり、ほとんど手直しせずに完成させることができたそうです。

ちなみに、作詞の山上路夫さんは、瀬戸内海の島を訪れたことはないものの、仕事で四国に向かう途中に船で何度も通ったことがあり、そこから見た段々畑と美しい夕日の島々の情景を思い出し、詞が浮かんだのだそうです。

また、瀬戸内海には大小3000もの島々があると言われており、曲の舞台となる島については諸説あるようですが、実際には特定の島がモデルとなっているわけではないようです。

『瀬戸の花嫁』のような名曲が、小柳ルミ子さんの思わず口走った言葉や、マネージャーのその場での提案など、さまざまな偶然が積み重なって生まれたものだったというのは、とても興味深いですよね。

以上、小柳ルミ子さんと平尾昌晃さん、そして瀬戸の花嫁の誕生秘話についてでした!

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